TOKYO LOCALS
大田区 / OTA
都会と田舎が同居する町、大田区
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BEAT CAST
KAORI TAKAYAMA
2021.06.11
紙メディアの価値が見直されているとはいえ、雑誌の休刊・廃刊のニュースが珍しくないこの時代。高山かおりさんは、紙の雑誌だけを取り扱うというユニークなECサイト・Magazine isn’t dead.をたったひとりで切り盛りする。その原動力は、一言でいえば“雑誌愛”に尽きる。 反骨心を持ち大手書店を飛び出し、Magazine isn’t dead.では熱量溢れる雑誌紹介文を書き、購入者には毎度手紙をしたためるという手紙魔の顔を持つ、独特すぎる高山さん。雑誌不遇のこの時代に抗うドン・キホーテのようにも見えるが、その尽きない情熱と真摯な姿勢が全国にファンを増やしている。 この筋金入りの“雑誌好き”に、職歴を織り交ぜながら、自身の反骨心のルーツから、情報との付き合い方、現代における紙の存在などを伺った。
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のっけから後ろ向きな話ですが、雑誌といえば、斜陽だと言われていますよね?
高山
私もそう思っていたんですけど、Magazine isn’t dead.をやり始めたら、結構雑誌好きの方は多いんだなという印象です。お客さんと何度も手紙やメールのやり取りをすることがあるのですが、みなさん雑誌がお好きですし、好きな雑誌のことを話したい人は見えないだけでたくさんいるんだなと。そういった場がないからこそ、雑誌が下火だと思われるんでしょうね。
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なるほど。改めて、Magazine isn’t dead.ではどういう雑誌を取り扱っているんでしょうか?
高山
私が雑誌と考えているものです。私の中での定義として、刊行を続けたいという意志を作り手が持っていれば、それは雑誌だと捉えています。作り手に、その意志の有無も確認します。zineでも単発で終わるものは取り扱いしていませんが、続いていくものは取り扱っています。雑誌は、出続ける中で見えてくる景色が面白いと思っているんです。とはいえ、定期刊行物である必要はなくて、不定期でも構いませんし、本人に続ける意志があるかどうか、ですね。
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書籍のように単発ではなく、つながりとして見たいという欲求なんですね。
高山
続けていく中で発見があるんです。私は同じ店にずっと通う派なんですよ(笑)。美容院ももう14年目とか。続いていくからこそ知れる喜びや出会いとか、そういうことに魅力を感じているんです。その魅力を教えてくれたのが雑誌です。変わっていく面白さもあるし、逆に変わらないことの面白さもある。大好きな『本の雑誌』とか、30年以上変わっていません。日本の雑誌はよくリニューアルされるので、『本の雑誌』のようにスタイルを変えずに貫くというのは素敵だし、珍しい。雑誌が頻繁にリニューアルされることについては、どうなんだろうと思う部分もあるので(笑)。
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取り扱う雑誌の内容については、何か基準がありますか?
高山
純粋に自分が面白いと感じるものですね。そうでないと、届ける熱量が変わってしまうので。あとは、満遍なくジャンルを揃えるようにしています。誰に対しても入口は開けておきたいんです。あとは、国内で広く取り扱ってないものです。広く知られてはいないけど、本当に面白いものは、まだまだ埋もれていると感じています。もちろん、まだ私が知らないものもいっぱいありますけど。その思いは、Magazine isn’t dead.を始める前に勤めていた大手書店での経験から来ています。
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では、改めて今に至るまでの仕事の遍歴を教えてください。
高山
高校を卒業して、ファッションが好きだったのでプレスがやりたいと思い、札幌にある服飾の専門学校に入りました。販売企画科というコースで、トレンドをリサーチしたり、企画を立てたりと今思うと編集にちょっと似てますね。卒業後、上京してセレクトショップで販売員をやっていました。
ー
接客の賞を獲ったことがあるそうですね。
高山
色々なお店が参加する、接客のロールプレイング大会で何度か賞を獲ったことがあります。ある大会で優勝したらパリに行けると聞いて、パリ行きたさにすごく頑張ったんですが、ダメでした。そこで一旦踏ん切りがついたので、かねてから古着を軸に置いたセレクトショップを開きたいという夢があり、そのセレクトショップを辞めることに。2012年の3月頃のことです。勉強のために働きたい古着屋が3店舗あったんですが、相談してみたら、うちは人は雇えないと断られました。
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それはさぞがっかりされましたね。
高山
ある日、よく行く街を歩いていると新しい大型書店ができていたんです。ちょうど雑誌部門を募集しているということで、応募したらすぐ返信がきて、面接を受けました。後で聞いたんですが、他の応募者は書店での経験が豊富な人ばかり。でも採用者側が欲しかったのはまっさらな人だったと。それと履歴書に書いた、接客で賞を取ったというのも評価してくださったみたいです。というのも、みんながみんなではありませんが、書店員は接客や人と話すのが苦手な人が少なくありません。とにかく、すごい経歴の人たちを差し置いて採用してもらったので、なおさら頑張ろうと思いましたね。
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本の取り扱いは初めてですよね。
高山
今でも感謝しているんですが、本当にここでは色々なことを学びました。例えば、そのお店では雑誌の品出しが閉店後で夜中にトラックが運んでくることや、付録は書店員がつけていることとか、基本を全然知らなかったんです。23時出勤で朝8時退店のシフトがあったりで、なかなかハードに働いていましたね。品出しを通じて、雑誌のジャンルごとで発売日に偏りがあることや、中身を知るために雑誌を読むことでトレンドを知ったり、雑誌にも詳しくなりました。当時は、これが面白いから仕入れてみようとか、色々とチャレンジできる時期だったし、上司の理解もありました。雑誌の仕入れがそれまで2人だったのが、私を含めて4人になって、色々な洋雑誌も仕入れるようになりました。その中から爆発的なヒットも生まれました。
ー
その書店で2018年まで合計6年働かれたわけですね。
高山
雑誌販売数の上がっていくところ、下がっていくところというすごくいい時代を目撃できたんだと思います。3年目くらいには責任者になっていたので、数字を下げたという責任ももちろん感じてはいるんですが。
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とはいえ雑誌好きで雑誌部門で働くことができてはいたわけです。辞めたきっかけは?
高山
正社員試験に落ちたことですね。法改正があって契約社員は最長5年までしかいられないということで、ほぼ受かるといわれている店長推薦で正社員試験を受けたんですが、落ちたんです。正社員試験は2回まで受けられるんですが、2回目の試験は必ず受かるんです。でも、受かると分かっている試験ほどバカバカしいことはないじゃないですか(笑)。全国の新規支店の雑誌部門の立ち上げやスタッフ教育まで色々なことをやったんですが、それでも必要とされていないんだなと。でも、今はダメだった理由も分かるんです。会社は、ちゃんと言うことを聞く従順な社員を求めていたんですよね。
ー
すごく反骨心がありますよね。それってどこから来るものなんでしょう?
高山
自分には昔から特技がなかったんですよね。背も低いし、学歴もないしで、馬鹿にされがちだったんです。だから今に見てろよっていう……。
ー
その書店を辞めた後は?
高山
編集の勉強をやりたかったので、編集アシスタントについたんです。あとは、お金も貯めなきゃだから、3年は働こうということで、アシスタントをやりつつ、本屋でバイトしようと応募したら、落ちたんですよ。今ならその理由も分かるんですが、ショックでしたね。
ー
逆に豊かな職歴が足かせになったのかもしれませんね。その後は?
高山
退職後に、WWD JAPANの雑誌特集号で紙面に出させてもらった時に、急遽プロフィールを載せることになったんですが、チェックなしで「書店での勤務先を探している」という一文がプロフィールにそのまま出てしまったんです。それを見て、元の職場の上司はじめ数人が心配してくれて連絡をくれたんですが、一人の方が「NUMABOOKSの内沼晋太郎くんに話してみたら?」って。それで内沼さんのB&Bで働かせてください、と話すつもりがなぜかウェブでの雑誌販売の構想を話していたんです(笑)。すると、「想いのあるうちに絶対やった方がいい。お金は出すから。3年後にはきっとその想いが消えてやらないと思うよ」と言ってくださって。確かに今思えば3年後はやってなかったでしょうね。それでMagazine isn’t dead.をスタートするための金額を計算して内沼さんに相談したら、そのお金をパッと出してくれたんです。事業計画もちゃんと立てて、こういう予定で完済しますともちろんお伝えしたんですが、「それはお金を返すことが目的になっていて、本来の目的から離れているんじゃないかな。だから返さなくていいよ」と。内沼さんは、雑誌や本の文化を守ろうという意識をお持ちなんです。まだお金は返してなくて、せめてものということで、NUMABOOKSのお仕事をたまにお手伝いさせてもらっています。
ー
雑誌だけを扱うというのもユニークですよね。
高山
雑誌に絞って販売しているところは、国内ではウチ以外にありません。本は単価が高いので、幅広く仕入れたりと展開できるんですが、雑誌は単価が低いので、今後は雑誌専門で取り扱う人は現れないだろうと。その予想は内沼さんとも合致しました。雑誌やzineを作る人は多いけど、それを読者に届ける人、つまりはそれが書店員とかになるんですけど、そういう人が少ないんですよね。商業誌の売り上げは減っている一方、個人誌は増えているという状況があるんですが、その良さを伝えるストーリーテラーがあまりいない。
ー
聞けば聞くほど、雑誌文化を守るというやりがいはあるものの、採算としては難しいんですね。
高山
だからこそ、やりたいんです。雑誌が80年代のような黄金期だったら、Magazine isn’t dead.をやっていなかったでしょうね。私は雑誌が教科書だったし、守りたい。
ー
高山さんが雑誌の面白さに目覚めたのは、いつになるんですか?
高山
4歳のときです。保育園時代に『こどものとも』という雑誌を夢中で読んでいたんですが、それが原体験です。その後『小学1年生』から『小学6年生』まで定期購読してました。その間にファッション誌を読むようになって、その影響でファッションも好きになりました。
ー
他の活字では、何を読んでましたか?
高山
新聞が好きでした。そういえば、かつて読んでいた十勝毎日新聞で、今書いているんです。毎月第3火曜日の新聞に掲載されるんですが、十勝出身の人をインタビューするというライティングのお仕事です。
ー
Magazine isn’t dead.の面白さのひとつは、高山さん自身が書かれている各雑誌の紹介文ですよね。それは大手書店時代からなんですか?
高山
いや。書店では、あくまで売るために、誰が読んでも内容が分かるように書くことに注力していました。でも、今では他と差別化するために、自分のパーソナルな経験も盛り込んで書いています。
ー
あの紹介文は、すごいですよね。
高山
自分のパーソナルなものは、自分だけしか書けない。まずはその文章だけでも読んでもらえればいいくらいの感覚ですよね。でも、そのパーソナルな文章を読んで、雑誌の中身に興味を持ってもらえるかもしれない。そういう意味で入口を広げたい。中身を見ることのできないウェブで内容だけの紹介文だと、そこに興味がないと手に取らないかもしれない。でも、実はその人が興味あることも書いてあるかもしれない。だから、書き方を変えてみたら、興味を持ってくれる人がひとりでもいるかも、というわずかな可能性にかけているんです。
ー
あの文章にもファンがいるんじゃないですか?
高山
いや、ファンはいないと思います(笑)。でも作り手が喜んでくれるんですよね。ありがたいことにお礼のメールを頂くことも多いです。でも内容に納得できないとアップしたくないので、お待たせしているものがいくつかあるのが心苦しいのですが……。
ー
お話をお伺いしていても、リピーターも多そうですね。
高山
おかげさまで多いですね。購入者みんなに手紙を“毎回”書いているんですよ。
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え、初めての人だけじゃなくて、毎回ですか?
高山
2回目、3回目もですね。それで返信しきれないくらい、たくさんの方からメールを頂いて、それを作り手に転送したり。作り手もやる気が出るし、いい循環ですね。手紙を書いて送るというのは、大手のウェブではできないし、インディペンデントな書店でもやっているところはほとんどないと思います。実際に、すごい反響を頂いて、お手紙をもらうこともあります。あとは、大阪でイベントに出店したときに、岐阜からわざわざ来てくださったお客さんもいます。その方はお子さんがお生まれになったと聞いて、お花を贈りましたね。地方出張やイベントの時にお会いする方もたくさんいますね。
ー
てっきり雑誌の在庫は倉庫などに置いてあるのかと思いましたが、先ほど見せて頂いたように、家の一角に置いてあるもののみなんですね。
高山
この自宅にあるものだけです。Magazine isn’t dead.で食べていこうと思っていません。どちらかといえば、細々と長くやっていきたい。ライフワークですよね。梱包も発送も自分でやってます。自分の場合は、生活のためにやっているわけじゃないんです。
ー
スーパーでレジ打ちのお仕事をされていると聞きました。
高山
去年の5月くらいからやってますが、すごい面白いんですよ。上向きの業界ですし、一日の売り上げやスーパーの仕組み、食のトレンドにも触れられるからめちゃくちゃ勉強になるんですよね。これはやめられないなと。色々なところから生活が透けて見えて、こういう財布を使っている人はこういうものを買っていくんだなとかもチェックしてます。実はこれで仕事がひとつ決まって、新製品を食べてみたというテーマで、十勝毎日新聞の有料会員用のサイトで連載を始めます(笑)。レジ打ちの仕事も今や週1でしか行っていませんし、生活のためではなく、あくまで面白いから今後も続けたいと思っています。
ー
観察眼が面白いですね。割とあらゆることを楽しめるタイプとお見受けしました。SNSはやらないとお聞きしているんですが、どうしてですか?
高山
かつてはやっていたんですが、Instagramは、facebookに買収されたことやタイムラインが時系列ではなくなったあたりからInstagramを取り巻く環境に疑問を感じるようになり、辞めました。個人アカウントはそのままにしていますが、今はほとんど開いていません。
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SNSは、情報が巡るスピードが速いですよね。
高山
SNSは速すぎて、私は疲れちゃうので追えない。だから、自分のペースでできる紙がいいんですよね。Magazine isn’t dead.をやっていて分かったんですが、ウェブで誰かが紹介してくれるとその波も2、3日で収まるんですが、雑誌だと2ヶ月後とかに連絡があったりするんですよ。だから、ウェブは情報が流されやすいんでしょうね。そういうところも紙はいいなと。Magazine isn’t dead.も、手元に残しておきたいと思うものしか取り扱っていません。
ー
そういえば、高山さんは顔出ししていませんし、前職の大手書店の名前も出さないですよね。何か特別な理由があるんですか?
高山
大手書店はその名前が分かってしまうと、良くも悪くもその色がついちゃうんですよ。そのフィルターの有り無しでは、私のサイトを見てくださっても感じ方が違うはず。だから雑誌との出合い方にも影響が出るはずなんです。書店名を出した方が、ビジネスとして有利だよとみんなに言われるので、誰も共感はしてくれないんですが(笑)。写真の顔出しをしていないのは、同じように見た目で判断されるのは嫌で、雑誌そのものを見て欲しい。ただ、イベントなどのリアルに出会える場所では顔出ししてます。写真だけで判断されるのが嫌なんです。
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これほどの雑誌愛があるのに、雑誌の作り手側に回るということは考えたことはないんですか?
高山
1ミリも考えたことがないんです。服の販売員の仕事とも似ていて、見つける楽しさや喜びがあり、いいものを紹介して、伝えたい。一度も作りたいと思ったことはないんです。
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今後、やってみたいことはありますか?
高山
実店舗を持ちたいです。ずっと場所探しはしていますが、東京は賃料が高いんですよね。あとは、ちょっとずれる話かもしれませんが、日本国内で私だけしか取り扱っていない雑誌もいくつかあります。ということは、当たり前ですが、手に取れない人も多いわけです。だから、雑誌を持って全都道府県を回ってみたい。興味ない人にも、こういう世界もあるよと伝えたい。実は、Magazine isn’t dead.のお客さんは、47都道府県全部にいるんです。でも私は車の運転ができないので、運転手と宿を募集中と書いておいてください(笑)。
PRESIDENCY OF "MAGAZINE ISN'T DEAD."
高山かおり
独断と偏見で選ぶ国内外のマニアックな雑誌に特化したオンラインストア「Magazine isn’t dead.」主宰、ライター。セレクトショップでの販売員を経て、都内書店にて雑誌担当として勤務後2018年に独立。4歳からの雑誌好きで、国内外の雑誌やZINEなどのあらゆる紙ものをディグるのがライフワーク。SNOW SHOVELING CARAVANの隊員としても活動中。生まれも育ちも北海道で、六花亭をこよなく愛する。
http://magazineisntdead.com
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