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Showgo Yamaguchi

FRUE主宰・山口彰悟が、音楽を使って描こうとする“イメージ”について。

2021.06.18

Photo:Yutaro Tagawa / Text:Rio Hirai

音楽好きやフェスティバル好き、なかでも数々のパーティで経験を積んできた大人たちが口を揃えて「最高だった!」、「ラインナップがやばい」と評価するイベント「FRUE」。ジャムバンドのカルチャーをベースに、テクノなどのダンスミュージックや若手バンドまで幅広く、そして深く、国内外の良質なミュージシャンを招聘してきた。コロナ渦に最善の策を考慮して行われた野外フェスティバル「FESTIVAL de FRUE 2020」も無事成功し、今年も秋に開催を控えている。数多のイベントの中で、コアな音楽ファンを惹きつける魅力はどのようにして育まれたのか。主催の山口彰悟に話を聞いた。

新宿・リキッドルームで出会った遊び好きの大人たち。

音楽イベントに関わるようになったのはいつ頃なのでしょうか?

山口

初めは普通に客として遊びに行っていました。20歳までは熊本にいて、中学・高校時代はメタリカ、メガデス、パンテラ、エクストリーム、ミスタービッグなどのヘビメタ時代を経て、予備校時代はレイジ、プロディジー、ベック、ニルヴァーナ、ビョークなど、『ROCKIN'ON JAPAN』に載っているような音楽を一通り聴いてました。そこまでコアな音楽好きというわけでもなかったかも、音楽の授業やカラオケは嫌いだったし。ただ、「レインボー2000」や「フジロック」が始まっていたし、そういうシーンに興味はありました。

大学に入ると、クラブやレイブへ一緒に行く友達ができました。大学時代の友達は、ハンガリーの日食パーティやインドのゴア、ブラジルまでカポエラ習いに行く人もいたりと変な人が多くて、大学の食堂や屋上がレイブ会場のチルアウトスペースみたいな感じで(笑)、音楽やパーティが日常へ入り込んできました。また、同じ頃、お茶の水の「ジャニス」で大量のCDを借りて、スケルトンのiMacに外付けのCDRWをつけて焼きまくっていました。渋谷のレコード屋「IKOIKO」でおすすめされていたCDを片っ端から聴いてました。

クラブや野外レイブも行きまくりましたが、なかでも新宿リキッドルームでやっていた「Organic Groove(オーグル)」にハマりました。何がおもろかったのかというと、まず煽りのテキスト。「聴けば聴くほど効く」「迷わず逝けよ逝けばわかるさ」「I ate Lucy」「バギる」などなど、シャレが効いてるなぁと思っていたし、会場へ行けば行ったで、とにかく雰囲気が妖しくて緊張感があった。何が始まるかわからないドキドキ感があって、時には、お客さん同志の殺し合いが起きるんじゃないかと思ったことさえあります(笑)。何がなんだかよく分からないけど、ステージ上で繰り広げられている演奏がすごいのは分かる的な。そして、同主催陣が2002年によみうりランドでやった「True People's Celebration」というパーティはぶっちぎりでした。エルメート・パスコアールやサン・ラー・アーケストラ、メデスキ・マーティン&ウッド、ファナ・モリーナ、レイハラカミ、ヴォアダムス、UAなどが出演していて、当時24歳だった僕には衝撃的なパーティでしたね。一緒にFRUEをやっている吉井は、このパーティにボランティアスタッフとして参加していたと後になって知りました。

なかなか強烈なラインナップですね。そこからどのようにしてスタッフ側に?

山口

「こんな狂ったイベントを主催しているのは、どんな人たちなんだろう」とずっと気になっていたところ、当時のインターネットで盛んだったBBS(掲示板)を通じて、彼らが遊びでやっているサッカーに参加しました。そうして出会った主催チームの大人たちは音楽にものすごく詳しくて、帰国子女だったりやたらかっこいいクルマに乗っていたりして、まぁ“東京のザ・不良”という感じでしたね(笑)。当時の僕は大学を卒業したばかり、年齢も一番下で、田舎の子が珍しかったんでしょう(笑)。音楽で繋がったということもあってか、仲良くなっていました。

また、当時はブログやmixiで好きな映画や書籍、音楽について書いていたので、テキスト書けるならってことでイベントのフライヤーの原稿を頼まれるようになりました。そうして気がつけば現場のスタッフも兼ねるように。よくある話ですが、楽しんでいたらいつの間にか、タダで遊びたかっただけなのに……、という感じです。自分でイベントを主催しようなどとは思ってもいなかったです。ちなみに、その時に知り合った人たちの多くは20年来の付き合いで、「FESTIVAL de FRUE」では、主にキャンプサイトの管理やフロアを守ってもらっています。

そこから能動的に、ご自身で主催するようになるまでには何があったのでしょうか?

山口

2006年開催の野外イベント「True People's Celebration」にコアスタッフで関わっていたのですが、収支の面でかなり苦労しました。「True People's Celebration」は3度目の開催だったのですが、ブレークイーブンまで持っていけず、このネタではもう難しいんじゃないかな、と周囲は諦めムードでした。でも、僕と今も一緒に「FRUE」をやっている吉井は野外フェスのコアスタッフ初体験だったし、「こんなおもしろいことやっているんだし、来年もやれば絶対に人を集められると思うから、もう一度やろうよ」と2人で慰め合って(笑)、どうしても諦めきれなかった。「絶対勝てるはずだ」と、強く思っていました。

ただ、そうは言っても、先立つものもないししばらく空白の期間があり、2010年にもう一度、「contrarede」というイベント会社の資本で「Organic Groove」が復活。僕も吉井も手伝っていたんですが、東日本大震災の煽りもあってか、「Organic Groove」も自然に消滅したので、なにか始めますかということで、2012年の3月から代官山・UNITでテクノのパーティを始めます。なぜ、テクノかというと、「THE LABYRINTH」(昨年20周年を迎えた音楽フェス)でFunctionとShackletonというアーティストを見て、こんなかっこいい音楽がテクノにあるんだと思ったと同時に、もっとかっこいいテクノがあるんじゃないかなと思って探し始めたら見つかったからというのと、予算的にもバンドに比べてお金がかからないから(笑)、ってもちろんそれだけじゃなくて、かっこいい遊び人の層がジャムバンドからテクノの方へ流れていっていたような気がするし、何か違うことをやりたくなったからな気がします。

そこから独自のラインナップで異彩を放っていくわけですが、そうなった理由は何だと思いますか?

山口

“FRUEらしさ”って何だろうと考えてみたのですが、バンドミュージックを知った上でダンスミュージックと出会った僕と吉井の音楽遍歴が影響しているのかなとは思います。もちろん他のスタッフの意見も聞きますが、基本的には自分たちがその時々で一番おもしろいと思う音楽を聴きたい。抽象的ですが、今っぽくて、でもちょっと外れている……。あとはちょっと妖しい音(笑)。そして、まだ見たことのない景色を見せてくれる音を果敢に掘っているからかなと思います。

フライヤーやステージの演出などにも“FRUEらしさ”が現れていますよね。

山口

FRUEを続けているひとつ動機は、“イメージ"を世の中に広めたいんです。どういうことかというと、神社なんかへ行くと御神木とかいって樹齢400年とかの杉の樹があるじゃないですか。見上げると晴れ晴れしませんか? 天に向かって真っ直ぐ伸びている感じ、あの姿や形って、強く心の中にイメージとして残りませんか? 僕は、そういうような強いイメージをいくつも集めています。というのも、どれだけ最悪な状況になったとしても、ふとした瞬間に、そのイメージを思い起こすことができれば、まぁ、大丈夫っしょと思えるんです。だから、街の中で手に取るフライヤーや何気なく見ているウェブで見たイメージはすごく大事にしています。

毎回、画家の嶋村有里子が描いた作品を見せてもらって、今の気分に合うようなものを選んでいます。「FESTIVAL de FRUE 2021」のイメージビジュアルは、彼女が数年前にエッサウィラへひとり旅をしたときに見たというカモメと月の絵です。種明かしをされると、へぇって感じかもしれませんが、このコロナ禍の状況において、月だか太陽だか分からない真丸と鳥が自由に空を飛んでいるというイメージを残せたらいいなという思いがあります。

過去のフライヤーだと、紙にもこだわって判型も変えて、テキストを長くして読ませるようなものにしたり……、パーティの記憶と共にイメージが残るようにと模索したような気がします。まぁ、あとは喫煙でタバコの煙がモクモクしているのが当たり前だった頃に、フロアを禁煙にしてナチュラルインセンスや香木を焚いたりもしていました。「家に帰っても洋服からタバコの匂いがしない!こんなクリーンなパーティは初めてだ!」と言ってもらった記憶があります。集中して、音楽に没入できる空間を作りたかったんです。

その考えに至るまでに、どんなものから影響を受けていたのでしょうか?

山口

自分のライブ原体験は、10歳のときに見た故・立川談志師匠の高座です。実家がお寺で、ほぼ毎年談志師匠が来てくれて、独演会をやってくれていました。「らくだ」「芝浜」「源平」「野ざらし」「鼠穴」「へっつい幽霊」「富久」「大工調べ」など、色んな噺をおそらく通算40席ほど、膝を突き合わせるくらいの距離で聴きました。本堂でやっていたのでキャパは100人くらいでしょうか。贅沢すぎました。当時、落語の知識なんてないんですが、とにかく生でしゃべる談志師匠の表情、しぐさ、声色、そして、その迫力にやられました。また、張り詰めた緊張感を緩めて笑いに変えたと思ったら、とたんに深刻な話になったりと、自由自在の芸を目の当たりにしました。「ライブ」というより、一生忘れることのない「体験」で、この体験は人生に深く影響を与えています。

“フェスはギャンブルみたいなもんだ”、というと眉をしかめる人がいるかもしれません。まぁ、もはや、このコロナ禍において生きていく、サバイブしていくということ自体がギャンブルに近いような気もしますが。

ギャンブルの書籍2冊なんですが、1冊目は、雀聖・阿佐田哲也の別名義・色川武夫のエッセイ『うらおもて人生録』。日々生きていく上での心構えが記されています。例えば、全戦全勝なんて不可能だから、9勝6敗を長くキープしようとか、地方競馬場へ行ったときは馬券は買わないで、まずどんな客がいるのか観察しようとかいちいちおもしろいです。もう1冊は『嘘喰い』(迫稔雄)。至る所に伏線が張ってあって、ちくちく積み重ねて、命を賭けたギャンブルで最後にきっちり回収する(勝つ)のが小気味よいです、映画『スティング』の漫画版というか。こういう風に勝てたらなとイメージトレーニングに使ってます(笑)。

山口

“イメージ”というのを意識したのは、『草枕』(夏目漱石)を読んだ時です。「山路を登りながら、こう考えた。 智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい」という有名な一説から始まるんですが、この小説には、とても美しいイメージが散りばめられています。雲雀が空を飛ぶ描写、椿がぽたりぽたり落ちる描写、大好きな羊羹を食べる描写、床屋での談義など、特に起承転結の分かりやすいストーリーはないのですが、寄せては返す波のようなリズムがあって、FRUEのタイムテーブルを作成する際の参考図書です。

『冥府の森』(牧野和春)は、原郷・熊野の話で、はるか南の島から手作りの舟でたどり着いた海洋民族が、熊野の御先祖様じゃないのか的なところから始まり、その民族が長い航海を経て真っ黒な熊野の森に輝く一条の滝(那智の滝)を、ゆらゆら揺れる海の上から見つけたときの気持ちたるや、みたいなことが描かれていて、その豊かな想像力で描く強いイメージが心に残されています。

『風の旅人』(かぜたび舎より、2003年〜2011年まで発行されていた雑誌)は大好きな雑誌なのですが、この41号が一番好きです。「永劫の旅」と名付けられたサブタイトル。ページをめくると、水越武の熱帯雨林の森や生物の写真が続き、蜷川立の南米先住民の時間や空間認識、アヤワスカや神話の話から、星々の輝くサハラ砂漠の中でじっくり内面世界を描いたような数千年前の岩絵の写真(野町和嘉)、そして、バッドトリップで気が狂いそうな気分になる写真(川田喜久治)が連ねられた後に、「ひとつの夢の終わりに」というタイトルでの編集長のエッセイと、てんでバラバラのイメージなんだけど、蜘蛛の糸をたぐるかのようにイメージが連ねられていて、こういう感じでタイムテーブルを作りたいといつも思っています。

2012年から年に2、3回都内でイベントを開催し、2017年には静岡県掛川市で「FESTIVAL de FRUE」が開催されます。その経緯をお聞かせください。

山口

気運の高まりというのでしょうか。いつも遊びにきてくれていた友達からずっと野外でやってほしいと言われていたし、2006年のリベンジもしたかったし。そして、ちょうど退職金が出たので、「今なら(予算的に)野外パーティができるかも。今度は勝てるっしょ!」と思ったんですよね。まぁ、大甘なんですが(笑)。集客は予想の半分くらいで、大体どれくらいお金が足りないか、もう分かってるんですよね。だから、また(集客的に)負けかぁ。この赤どうしよう、とぼんやり考えながらフロアで踊ってると、野外でFRUEやってほしいって煽っていた友達が次から次に「まじ最高!」「やばい!」「ありがとう!」って、ものすごい笑顔でハグしてくるんですよ。すでに地獄の釜は開いているですが、まぁ、救われますよね(笑)。こんなに喜んでくれるんなら、お客さんにも少し手伝ってもらうかと思って、2018年はクラウドファウンディングに挑戦しました。

なるほど! クラウド・ファウンディングで目標金額を達成したということは、それだけお客さんにも開催を待ち望まれていたということですね。

山口

ありがたいですね。2018年にエルメート・パスコアールの来日ツアーをやったときには、エルメートに「金に困ったらこれを売るなりなんなり自由にしていい」と譜面のドローイングをもらいました。これは、FRUEのお守りです(笑)。手ぬぐいでも作りたいなとずっと思っています。予算の面だけではなく、野外パーティはたくさんの人を巻き込んで開催するもので、人のありがたみを実感しました。また、最近では、「FRUE行ったら音楽を聴いたり踊ったりすることを思い出して楽しくなって、クラブ遊びが復活したんだ(笑)」なんていう人にも声をかけられたりして、オーガナイザー冥利に尽きますよね。遊び尽くして、2、3周した人も楽しめるフェスだと思ってます。

FRUEとして、また山口さんの今後の目標はあるのでしょうか?

山口

FRUEは、死ぬまで多くの人たちと一緒に生で音楽を聴けたらそれで最高だなと思っています。BE AT TOKYOでもライブができたらいいですよね。5年後は……、大阪万博に関わりたいです。国の予算を使って各国からコアなアーティストを呼んで、その土地の食も絡めて、世界各国の人たちと、人種や性別、年齢、言語を超えて一緒に踊れたら極上のパーティになりそうじゃないですか。変わらず、ふるえる音楽体験に関わっているのが目標です。

FRUE ORGANIZER

山口彰悟

1977年熊本県生まれ。日本大学芸術学部文芸学科卒。ライブの原体験は10歳のときに観た立川談志師匠の高座。「Greenroom Festival」「TAICOCLUB」などでイベント制作・運営を学び、「True People's CELEBRATION」や「Organic Groove」の後期にはコアスタッフとして参加。2012年3月より都内を中心に、年に2~3度のペースでFRUEを開催している。「FESTIVAL de FRUE 2021」は11月6日、7日。開催地は「つま恋リゾート彩の郷(静岡県掛川市)」。チケット発売中!

Instagram:@frue_presents
https://festivaldefrue.com

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