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BEAT CAST

RAKU NAKAHARA / YASUYUKI YOSHIEDA

見えないゴールに向かって模索しながら走り続ける「きゅうかくうしお」。

2021.07.16

Photo:Kazuma Yamano / Text:Kaori Takayama(Magazine isn’t dead.)

「きゅうかくうしお」は、2010年に辻󠄀本知彦さんと森山未來さんが立ち上げたユニットが始まりだ。現在は舞台監督、映像、制作、音響、照明、衣裳、宣伝美術など、10人の表現者が作品づくりの度に集まり、パフォーマンスにとどまらず、定期的に行われるミーティングやリサーチなどで積み上げたクリエイションの過程を可能な限り公開している。 明確な行き先を決めずに船を漕ぎ、それぞれが本来の役割を飛び越えて自在に動くこの集団が目指すは何なのか。価値観の違う人間同士が混ざり合い、観る者を巻き込みながら予想もしなかった方向へ進んでいく「きゅうかくうしお」。 彼らがどのようにして今の形になり、作品はどこから生まれるのか。そして「きゅうかくうしお」にとって大切なもうひとりの存在やこれからチャレンジしたいことを、音響の中原楽さん、照明の吉枝康幸さんに聞いた。

「きゅうかくうしお」とは何か。

お二人が「きゅうかくうしお」に参加されたのはどのような流れだったんですか?

吉枝

それがよく覚えてないんですよね。楽ちゃんの方が先じゃない?

中原

私は、当時プロデューサーだった女性に呼ばれて入りました。2017年に原宿の「VACANT(2019年閉業)」で公演があって、その時のために集められたんです。

ということは一時的なものだったということですか?

中原

そうですね。ヤスさんもですよね?

吉枝

そうだね。

中原

私は、未來くんとは仕事はしていたんですけど。ヤスさんもしてましたよね。

吉枝

僕は森山くんのことは昔から知っていて。演劇やミュージカルの業界にいたので、時々仕事で一緒になったりしてました。でも、ただ面識があるという感じで。それから会社を辞めてフリーランスになった頃からかな、直接呼んでもらうようになって。「VACANT」での公演の時も、確か楽ちゃんと同じくプロデューサーの友人か森山くんに呼ばれて参加しました。でも、その時はまだチームとしてやろうとは言ってなくて、公演中か公演が終わってからだったかな、この集まりなんか具合がいいね、ということでチームとしてやろうかって話になったのは。具体的に誰がどう言ってたんだっけ?

中原

誰がどう言い出したのかいまだにわからないですね(笑)

それだけいい空気感だったということですね。

吉枝

特に覚えているのが、森山くんがウォーミングアップ中に「なんか素敵な人たちが集まったね、今回」と言っていて。それが誰のこと言ってるのかな? 僕も含まれているのかなって(笑)。そう言っていたのは覚えています。ただ、この日から結成みたいな出だしがはっきりしてないんですよね。

中原

そうですね。ずっと曖昧なまま続いています。

それは今もですか?

吉枝

そうだと思いますし、今メンバーが10人いるんですけど、捉え方や意見が全部バラバラなんです。

ちなみに、会社などに所属しながらパフォーマンス活動をするのはよくあることなのでしょうか?

中原

劇団に所属しているとかはあるけど、私みたいに会社員だけどフリーランスのように自由に仕事をしている人は珍しいかもしれません。なんだろうね、我々って。

吉枝

そもそもの定義付けができていないのでそれを探し続けているというか。かなりゆるい集まりですね。代表が誰かも別に決まってないし。

中原

友達とも違うし、いつもの仕事仲間でもない。私は、ヤスさんをはじめ、「きゅうかくうしお」になる前までは一緒になったことがない人ばかりだから、何も知らないところからスタートしていて。しかも基本的に作品をつくる時だけしか集まらないから、プライベートも全然知りませんでした。そういう集団だから理解できないことも多くて。

吉枝

仲が良い悪いとかではなく、基本的にみんなベタベタはしないですね。

中原

集団生活苦手な人たちばっかりなので。

(笑)

吉枝

何が共通点かと考えると、人の言うことをあまり聞きたくない人たちが集まっている、かな。

中原

だから本当にまとまらなくて。まとまらないなりの模索をずっとしている感じですね。

吉枝

楽ちゃんが友達でもないと言っているから、逆に僕はみんなのことを友達って言い張って。作品をつくるとは何か、と言われたら、僕はいい大人が友達と本気で遊ぶことって言い切っています。むしろそれ以外に楽しくなるやり方がある気がしなくて、全部仕事になっちゃう。仕事は好きですし、仕事のためなら何でもしますけど。でも、仕事やるぞって言って集まってるわけじゃないというスタートが僕は楽しいんです。

中原

私は仕事の方が好きなので。友達じゃなくていいです(笑)。仕事としてやりたい。

考え方が真逆なんですね。

中原

でも、ここで重要なのは、それを絶対に否定しないことなんです。

10人の中で否定し合うことがない、ということですか?

中原

そう、それが重要だと思いますね。だから私はそういうヤスさんがいいなと思うし。自分にはない感覚なので、そうはなれないけどそれでいっか、みたいな。

吉枝

言葉をどう選んで使うのか、という違いだけかもしれません。言葉って厳密に突き詰めると各々ちょっと違うはずなので。例えば“友達”とか。どこまでが友達なのかが一人一人違うわけで。メンバーの中には、言葉が先にあってそこから動きとかが付くっていう人もいますけど、僕は言葉は一番最後でいいんじゃない?っていう感覚。その辺も楽ちゃんとは真逆ですね。

中原

思えばこうやって二人で話したこともなくて、今日がたぶん初めて。だから今話していて、他のメンバーとも話したいなと思いました。

吉枝

それはいつも思いますね。これについてあの人はどう思っているんだろうって。集まる人によって、場の雰囲気がまったく変わるので。2020年4月〜5月に、zoomを使ってライブ配信をした時も、選ばれる3人によって話す内容ややることがバラバラでした。

本来の役割から離れるからこそ得られる学びと、一生の課題。

オンライン上での作品づくりはその時が初めてですよね?

吉枝

本格的な外出自粛期間が始まって、とりあえず集まって何かつくってみようということになったんです。何をやるのかも決めないまま、というか探しながら、3日に1回zoom上で集まって、議論したり、音や照明のことを試している過程をYouTubeで流して。

中原

オンラインで作品をつくる経験って今までなかったからどういうことなのかをみんなで考えたくて。あと、あの時期って何もできることがなかったから何かしなきゃ、というのもみんなの中にありました。

吉枝

その流れがあって、8月に千葉県にある山の中でみんなで合宿をして。45度くらいの斜面の山をまず切り開くことから始まって、無理矢理舞台をつくって。お客さんを呼べないので映像を撮ってYouTubeで観てもらおうと。その時に楽ちゃんが監督をやったんだよね。

中原

映像なんてつくったことないんですけど、もうやるしかなかったですね。誰かがやらないと作品にならなかったし、そもそも作品をつくりに行くつもりで自分はいたので。全然認識が違ったメンバーもいたかもしれないですけど(笑)。

吉枝

なんかいつのまにか楽ちゃんになってたんだよね。

中原

ヤスさんとかは山を開拓するのが大変で。男性陣がみんなそんな感じで、監督とかやってられない。

木を切るというレベルの話ですよね?

吉枝

そう。チェーンソーとかノコギリとか。

もはや照明や音響はまったく関係ないですよね?

中原

リアルな開拓ですね。照明も焚き火だ! みたいな感じで。だからヤスさんにここ焚き火でどうにかできませんか、みたいな相談をしたりとか。

吉枝

かろうじて水道だけは引いてもらってたんですけど、僕としては電気がないと基本的に何もできないので木こり役に徹して。電気がないことは事前にわかっていましたが、その状態でとりあえず行っちゃおうと。僕は現場に行ってとりあえず遊べば何とかなるでしょ、という感じでしたね。

中原

私は真逆なんですよ。もちろんヤスさんはそういう人で、私はそれがいいなあと思っています。でも、私の場合は、遊びからは何も生まれないんです。だからモチベーションも違って、こんなんじゃ作品できないけど何してるんだろうっていう気持ちになっちゃう。それで衝突もありました、めちゃくちゃ辛かったですね(笑)

どういう衝突ですか?

中原

お互いに何かをつくるというゴールは一緒なんですけど、やり方が違いすぎてすれ違いがあって泣いちゃう、みたいな。言い合うというのではなく、逆に言い合わないから辛かったんです。

吉枝

そもそも何をやるかが決まっていない状態なのに、何かを一生懸命つくろうとしているので、言い合いになりようがなかったんですよね。

中原

そういう葛藤がありながらなんとか映像作品にして。正直それが面白いかどうか私にはわからない初監督作品になったんですけど。ただ、やっぱりすごく学ぶことがあって。私はそれまで映像に音をつけるということをしてこなくて、ライブPAとまったく違うものだったから模索していたんですね。でも、自分がこうしようと決めて撮ったものに対して音をつけたことで、あ、なんかこうやって音をつくっていったらいいのかもという学びがありました。だから終わってから、やって良かったなと思ったんです。

吉枝

楽ちゃんは、音に対して求道者みたいな姿勢だったんです。僕も突きつめようとはしているんですけど、もうちょっといい加減というか。ある状況の中からやるしかないということが多いので。特に「きゅうかくうしお」の場合は、今回のようにそもそも照明が入らなかったり。だから僕は、照明と全然関係ないところで学んでいます。10人で作品をつくろうってなったら、誰もやっていないことを探す。それをしっかりやっていると必要不可欠になれたりする。まぁ当たり前のことなんですけど、照明と関係ない部分が勉強になってますね。

中原

うんうん、わかります。

吉枝

なんかもうみんなにお母さん扱いされてました(笑)。朝ごはんをつくって届けたりとか。赤ちゃんを連れてきていたメンバーもいたので、そういう部分のケアもしてましたね。

中原

ホットサンドとかつくってくれてね(笑)

美味しそう!それはうれしいですね。

中原

あと、考え方の違いもありますね。例えばライブでの私たちの仕事は、ある意味いい音を出すことが正解かもしれません。一方、作品づくりは全体を見ないとダメというか。どこかが飛び抜けて良くても何にも良くない。むしろ飛び抜けちゃいけないかもしれない。バランスが重要だから、全体を見られる人と仕事をするということが大事だと思っていて、ヤスさんとはアプローチはいつも真逆なんだけど、そういう部分は一緒なのかな。音が良かったねと言われるのもうれしいんですけど、作品が面白かったねってならないと全然ダメ。

吉枝

僕もそうです。照明を褒められるのはもちろんうれしいけど、最終的に目指しているのは、作品が良かったねって言われることなので。

お二人の共通点が見えてきましたね。

吉枝

「きゅうかくうしお」で得た経験は他の現場で生かせることがすごく多いんです。逆に他の現場で試したことを「きゅうかくうしお」に持ってきて、また同じようにやってみたりもします。

中原

しかも「きゅうかくうしお」で難しいのが、我々も舞台に上がったりすること。

本来裏方である人が舞台に出るって珍しいですよね。

吉枝

めっちゃ珍しいですね。

中原

俯瞰して見て、どうやっていい作品にするかを常に考えているのに、いきなり自分もその中に入っちゃうっていう。俯瞰できない難しさ、それがもうとてつもなく悩ましくて。たぶん一生の課題かなって思います。

吉枝

僕も前回の作品の時に、出演者というより舞台のパーツのひとつとしてお客さんの前で自分に光を当てたんですけど、客観的に見られなかったですね。それによって出演者の気持ちが少しでもわかれば、と思ったのでやってみました。いい修行だと思って。

「きゅうかくうしお」にとって大切なもう一人の存在。

話が遡るんですが、お二人がそれぞれの業界に入ったきっかけを教えてください。

中原

私は5歳から大学までずっとピアノをやっていました。

吉枝

えー弾けばいいじゃん!

中原

もう全然弾けない(笑)。小学校の低学年くらいで、なんとなく自分にはプレイヤーは無理だと悟って。でも、なんとなく続けていたんですよね。一緒に陸上もやっていたので、進路を決める時にスポーツ科学か音楽かで悩んでいて、音楽の方が楽に大学に行けそうだなと。そんな安易な感じで進学しました。でも、裏方になろうとは思っていて。高校生の頃に「RENT」というミュージカルを観て、音響の存在を強く感じたんです。

吉枝

ライブじゃないんだ。

中原

そうそう。ライブももちろん観たことはあったんだけど、なぜかミュージカルでそれを感じて。音大に入学して、ゼミの先生との会話の流れで音響の勉強を始めることになってどハマりしたんです。大学の廊下でずっと機材をいじっている、みたいな4年間を過ごして。周りにたくさんプレイヤーがいたので、自分でイベントを企画してPAをやったり、そんな生活を送る中でフェスの手伝いに行った時に出合った会社に入社しました。

ところで楽さんというお名前は本名ですか?

中原

たまたまなんです。楽しく生きろよって(笑)。

吉枝さんはどうして照明の業界に?

吉枝

高校生の頃、なんとなくサラリーマンになるつもりはないなという感じがあって、卒業するまでに職業を決めちゃおうと。選択肢を削る中で、ひとつのところに毎日通うのは自分には無理そうだし、毎日同じ場所に行かなくていい仕事ってなんだろうと考えた時に、当時自分が好きだったライブやコンサートへ行くとツアーをやっているなと気づいて。中学生の頃、布袋寅泰さんがすごく好きで、ライブを観たり、ライブビデオを友達の家に集まって観たりしていました。でも、なんで生で観ると照明の色がこんなにも綺麗に見えるんだろうと不思議に思って。

疑問を感じ始めたんですね。

吉枝

そういう仕事をしている人がいるんだろうなと。それで舞台照明の仕事をしたいと思って、専門学校へ進学しました。楽ちゃんとは逆で、僕は元々コンサートの照明をやりたくて業界に入って。でも就職した会社が演劇やミュージカルに強い会社で、やってみたらそっちも面白いなって。

当時影響を受けた本があるんですよね?

吉枝

ビートたけしさんの『顔面麻痺』と『死ぬための生き方』ですね。子供の頃から死について考えていてやばいなって思ってたんですけど、高校生の時に交通事故で立て続けに同級生が亡くなってしまって、それがすごい衝撃で。そこからガッツリ死についてずっと考えています。この本は二十歳の時に東京駅の本屋で見つけたもの。たけしさんが事故で手術していたのはなんとなくニュースで知っていたんですけど、興味本位で本を読んでみるとめちゃくちゃ死について語っていて。当時そういう大人が誰もいなかったのでなんかホッとしたんですよね。考えていて良かったんだ、と。他にも衝撃を受けたものがあって……。

何でしょうか?

吉枝

今回と同じ企画(BEAT CAST)にも登場している上出遼平さん(インタビュー記事)です。インタビューを読ませてもらって、「ハイパーハードボイルドグルメリポート」も観たことがあって。今日たまたまNetflixを見直したらまた新しいエピソードが入っていて、それを観てまた衝撃を受けてかき乱された状態で今日ここへ来ました(笑)。いつか上出さんに会ってみたいですね。あの番組のことは散々聞かれてきっと飽きていると思うので、全然関係ないことを聞いてみたい。

それBE AT TOKYOでやりましょう! 中原さんはどうですか?

中原

死の話から思い出したことがあるんですけど。冒頭で話した私を「きゅうかくうしお」に呼んでくれた女性が、実は2017年に亡くなって。岡村滝尾と言って私の大親友だったんです。彼女がいたことで自分が支えられていた部分が大きかったので、亡くなってから自分が本当にひとり立ちをしなきゃいけないんだということを切実に感じていた時に、あるイベントがあって。今までだったら、自分が我慢してやり過ごしていたようなことが起きたのですが、その時初めてクライアントに対してきちんと怒って。彼女の死がなかったら怒れなかったと思います。それまでは、自分が笑ってやり過ごせばみんな丸く収まっていいのかなという生き方だったんです。でも、今後のことを考えた時に、ちゃんと意思表示をして意見を通さないといけないんだなって気づいて。彼女がいたら言ってくれたようなことかもしれないことを自分で主張するようになって。それがみんなにとって良かったかはわからないですけど、自分には大事なことだと思っています。

仕事に対する価値観を変えるターニングポイントだったんですね。

中原

そうですね、きちんと発言するようになりました。

吉枝

滝尾さんは僕と同い年なんですけど、「きゅうかくうしお」は滝尾さんが始めたようなところもあるかもしれません。

中原

みんな滝尾に集められたみたいな感じなんですよね。

率先して引っ張っていくような存在だったんですか?

中原

そうですね。プロデューサーだったんですが、とにかく人柄が素晴らしくて、みんな彼女の周りにいるのがすごく好きでしたね。

吉枝

滝尾さんが生きている時に、とりあえず10年はやってみようというのが「きゅうかくうしお」の目標でした。彼女は僕らにとってとても大切な存在なので、彼女の話をどのくらい言ってもいいのかといつも考えてしまいます。ただ、僕はなるべく今でも考えていることを言いたいけれど、同時にそれがお涙頂戴的な雰囲気になるのは絶対に嫌なので。

伝えたいことはそこじゃないですもんね。

中原

私を舞台業界に誘ってくれたのは彼女だったんです。私は音楽の業界にいたんですけど、“楽ちゃんは舞台業界に必要だから”と言ってくれて未來くんと引き合わせてくれました。だから彼女がいなかったら私は舞台の仕事をやっていなかったと思うし、「きゅうかくうしお」にも参加していなかったと思います。

吉枝

こうやって話すことで、僕は滝尾さんのことをみんなの記憶に刻み続けていきたい。

中原

業界にとってめちゃくちゃ重要な人だったんですよ。あらゆる人たちが、彼女を目標にしていたくらい仕事ができる人だったから。滝尾がいなくなって、同じようにはなれないけどどうやって働いていったらいいだろうかというのをみんなが考えたような雰囲気があります。

吉枝

「きゅうかくうしお」のメンバー全員がそれぞれ滝尾と友達だったので、お葬式のお花は「きゅうかくうしお」として出しました。その時もみんなでまず集まったよね。

中原

彼女が行きつけだったバーが下北沢にあって、そこにみんなで。なぜか爆笑してたよね?

吉枝

最後の方は覚えてなくて。

きっかけをつくってくれたのが滝尾さんだったんですね。

中原

そうだと思います。私は完全に彼女に集められたと思っているので。みんなそれぞれに色々な影響を彼女から受けていて。作品をつくる時に、滝尾ならどう言うかなということは常に考えています。

肩書きにとらわれずに自分ができることを。

BE AT STUDIOでもゲリラパフォーマンスをしていただいたり、何かとご縁があります。これからも取り組みを続けていきたいと私たちは考えているのですが、今後実現したいことについてお聞きしたいです。

中原

今のところはみんなが個人的に動こうとしていて。各々がやりたい、やるべきと思うものを、BE AT TOKYOに参加している方々と繋がりながら、「きゅうかくうしお」の活動を広げていきたいですね。それは、我々が音響や照明の肩書きにとらわれないことも、方向性のひとつとしてあります。

吉枝

森山くんからの提案で、メンバーのひとりがBE AT TOKYOの別の人に声をかけて、一緒に企画を考えることを宿題にしたらどうかなと。ただ、僕は自分からいくということが性格的にすごく苦手なので、むしろいじってもらいたいなって(笑)

中原

私はあらゆる人が作品に関わりやすい環境つくりたいと思っています。これは「きゅうかくうしお」だけじゃなくて、例えば我々の業界で女性が働きやすくなるためには何ができるのかを以前からずっと考えたりしていて。女性が働きやすい=男性も働きやすいってことだと思うんです。ギリギリの予算と時間の中で作品をつくるってすごく大変なので、常に体力や精神とか何かが削られていってしまう。そことどううまく折り合いをつけていくかを真面目に考えていきたいですね。「きゅうかくうしお」には子供が小さいメンバーがいるので、子育てをしながらどう作品をつくるのかとか。これから社会に出て働く子たちに対して、今のままで頑張ってとは言えないので、その辺を探りたいです。全然音響と関係ないんですけど。

大事なことなのに、無視されがちなことですよね。

中原

絶対最後になっちゃいますよね。働く女性たち、もしくは体力のない男性とかいろんな人とBE AT TOKYOで話をするようなワークショップだったり、そんなことができたらいいなと思います。

照明の業界も似たようなことは起きているんでしょうか?

吉枝

そうですね、やっぱり女性が子供を産むとそのまま離れちゃう人が多い。今は僕が人を雇える立場になったので、半日でもいいし、1年ぶりでもいいから来てほしい。ありがたいことに、僕の周りには優秀な人が多くて、1年離れても、“私もうダメです”って言いながら全然通用するし、実際僕もやりやすいので。子供背負ってでもいいから来てほしいって言ったりしてますね。

中原

そういう現場がないじゃないですか。例えば出演者は子供を連れて来られるけど、スタッフはそうそう子供を連れて現場に行けない。

吉枝

僕はたまにでもいいからやってもらいたいですね。単発でもいいから、いろんな仕事を頼んだりして。なるべく子供を産んで離れている人も続けてもらいたいなって。

中原

子育てはどちらかというと女性に比重がいっちゃうから、男性の産休がもっと進むべきとか、いろんな問題がきっとある。女性だけで考えちゃダメなんだろうなとは思います。これは公言していることなんですが、私は結婚していますが子供は産まないと決めています。なぜなら仕事のためなんです。子供を産んだら確実に仕事を辞めると思うから。ただ、子供を産める人は私の他にもたくさんいて。でも私の音づくりは今のところ他にできる人がいない。そう考えたときに私は仕事を選びました。それが良かったかどうかは一生わからないかもしれないけど、こういう話をするとわりとみんな「え?」ってなるんですよ。そういうのも変えていきたいですね。

産む、産まないの選択は個人に委ねられていますよね。

中原

そう。私は子供を産みます、産みませんというのがどちらも良い選択だと言う人が増えていったらいいなと。どっちでもいいから、その辺ももっとカジュアルに話せていける世の中になったらうれしいですね。

話が思いもよらぬ方向へ飛び火して興味深いです。

中原

そもそも予算がないのが一番の問題。だから人員を多く入れられず、人が限られるから体力も削られるという現実がある。まずは自分がいる場所から考えられたらなと思います。

SOUND DESIGNER

中原 楽

千葉県出身。スピーカーの配置をデザインする時、3Dのパズルのように音を空間にはめ込む妄想が脳内で始まる。Luftzug所属。

Instagram:@laq_extragirl(https://www.instagram.com/laq_extragirl/

LIGHTING DESIGNER

吉枝 康幸

東京都出身。1977年生まれ。1998年株式会社クリエイティブ・アート・スィンク入社。2006年新進芸術家海外留学制度にて渡英。2009年独立しフリーランスに。2016年株式会社YAS設立。

■きゅうかくうしおオフィシャルサイト
https://kyukakuushio.com

■今後のスケジュール
2022年1月23日より、兵庫県豊岡市にある城崎国際アートセンターにて、2021年度「アーティスト・イン・レジデンス プログラム」に参加予定。
期間:2022年1月23日(日)〜2月5日(土)
http://kiac.jp/jp/

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次の東京を創造していく表現者にスポットを当てたインタビューコンテンツ。