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SORAN NOMURA

バーの常識をアップデートする鬼才、野村空人。

2021.02.05

Photo:Ko Tsuchiya / Text:meiji (marble studio)

野村空人は、バー業界の風雲児だ。 イギリスでバーテンダーを志し、帰国後はFuglen Tokyoのバーマネージャーとして数々の賞を受賞。現在は自身の会社「ABV+」を設立し、ドリンク開発からコンサルティングまで、食文化の発展に献身している。 野村氏の魅力は独創性にある。リキュールに乾燥した牛蒡(ごぼう)を漬け込んだりと、彼の感覚を刺激した食材は、ストーリー性とともにカクテルへと姿を変え、飲むものに驚きや感動を与えてきた。 今回は、彼がディレクションする兜町「K5」内の『青淵-Ao-』にて、バーテンダーを目指すキッカケから、アイデアの起源、理想的なバーの姿などについて話しを伺った。

生活のために始めたバー文化に魅了されて。

野村さんは21歳にして単身イギリスに渡られ、向こうでバーテンダーをやられていましたが、なぜイギリスを選ばれたのですか?

野村

渡英する前は美大を目指していたんですよ。でも、日本では現役での受験に落ちてしまって。うちの実家では「義務教育が終わったら家を出る」というルールがあり、僕も浪人する気になれず、ひとまず行ってみようと思い立って20歳の頃に2週間ほどロンドンに行きました。その環境が気に入り、そこからロンドンの美大を目指し、実際に英語と美術の双方を学べる学校にも通っていました。ただ、英語の先生と馬が合わなくて、自分で稼いだお金だったし、あっさりと退学してしまいました。でも、当時は1ポンド250円という時代だったので、働かないことにはどうしようもなく、お酒も好きだしバーで働いてみようかなと、ヒョンなキッカケでバーテンダーになりました。

バーテンダーを志したのは渡英後だったのですね。

野村

そうですね。YESかNOかしか言えない程度の英語力で、バーカウンターに立っていました(笑)。現地で働いていると一緒にお酒を飲む機会もあって日本人以外の友達もできるし、現場で英語を覚える楽しさもありました。なので僕の場合、生き抜くためにバーテンダーになった感じです。最初の5年で3軒ほど、色々なバーを経験しました。最初に入店したのは、とても長いカウンターにお客さんが列を作るようなライブバーで、パイントをガンガン注いだり、簡単なカクテルを提供するスタイルでした。その後、当時有名だったテキーラなどを提供するメキシカンバーに移籍して、その次に勤務したところはバーボンウイスキーが有名なアメリカンダイナーのような雰囲気と、三者三様、違うスタイルがあり、文化としてのお酒の多様性を学びました。

多様性のほかに、バーテンダーとしての教訓や糧になっているものはありますか?

野村

バーテンダーとして生きていこうと決意したときに購入したカクテルブックがあります。『The Joy of Mixology』という本で、著者はバー業界でその名を知らない人はいないゲーリー・リーガンさんです。この本には、カクテルひとつにしても色々なレシピが掲載されています。例えば、マンハッタンについてはマンハッタンの歴史が書いてあり、次のページにはドライ、パーフェクト、ボトルドなど複数のメニューが記されていて、他のカクテルでも使っているバーボンが違ったり、小技を伝授していたりします。これらを覚えておいたおかげで、お客さんからのリクエストと照らし合わせて、自分なりのツイストができるようになりました。

“面白い”という感覚に従う。

帰国後はFuglen Tokyoでバーテンダーとしてご活躍されていましたが、そこからどのような心境の変化があって、独立を決意したのでしょうか?

野村

「Fuglen Tokyo」の在籍当時も個人の活動はしていました。僕の父もフリーランスで、その背中を見て育ったのもひとつの理由かもしれません。あとは、一店舗のマネージャーとして育成に携わるより、キッチンさえあれば仕込みはできるので、もっと自由度を高めて、自分で好きなものを作り続けたいという熱量を発散したかったからです。

「ABV+」では、具体的にどのようなことをされているのでしょうか?

野村

「Alcohol by volume」の頭文字に「+」をつけたものが社名なのですが、ここには「お酒を通して新しい何かを知ってもらいたい」という想いが込められています。ただ、その名の通り、お酒に限定せず「お酒と一緒に何かをしましょう」というのが僕のコンセプトなので、単純なドリンク開発に止まらず、より広義なお店作りとしてコンサルタント業務も担当させていただいています。ベストはコンセプトから一緒に考えることですが、元々コンセプトをご用意いただいている場合は、それに沿って何種類かレシピをご提案して、必要に応じて仕込みを含む技術的なトレーニングも行っています。

野村さんは独創性溢れるオリジナルドリンクを開発される際、どのようなインスピレーションをもとに材料を選ばれるのでしょうか?

野村

最近はクラシックなものをベースに軸をあまり変えずに、こういう要素が追加されたら面白いという感覚を大切にしています。例えば、ルーツ・オブ・バンクというメニューがあるのですが、これは使用しているお茶に泥のついた牛蒡(ごぼう)を煎じて飲んでいるような味わいがあったので、牛蒡を取り入れています。でも、普通に牛蒡を使っても仕方ないので、ナチールという根菜の甘苦いリキュールに乾燥した牛蒡を漬け込みました。あと、僕にとっては“色”も大切なエッセンスのひとつです。赤ワインはお肉に合うといった有名なペアリングをイメージしてもらうとわかりやすいと思うのですが、色は裏切りません。現在は緑色でも元々赤色であれば赤いものと合うし、緑のものも合う、というシンプルなロジックです。それをクリアした上で味が良ければ、次のステップに。さらに、そこにサプライズがあると尚よしといった感じでしょうか。

例えば、今出た色のうち、赤が印象的なカクテルはありますか?

野村

ここ、「K5」の『青淵-Ao-』は僕がディレクションをしています。店のコンセプトは日本を代表する実業家の渋沢栄一さんなのですが、メニューのひとつに「アルヘールージュ」というカクテルがあります。「アルヘー」とは、渋沢さんがパリ万博に向かう際に乗られた船の名前に由来していて、そのアルヘー船で初めてバターを食べられたそうで。なので、このカクテルはフランスのカルバドス(フランスのノルマンディー地方で造られる、リンゴを原料とする蒸留酒)を採用して、そこにバターを溶かし、赤で統一するために梅酒につけたサンルージュというお茶を浸漬しています。

その他にも彼が愛した本やお茶にインスパイアされたカクテルを提供していて、お茶も日本茶だけだと選択肢が少ないので、晩年の渋沢さんがアジアをまとめようとしていたことから、中国茶や漢方もレシピに取り入れようと、今は材料を集めて特徴などをもとに分類している最中です。

バーを非日常から日常へ。

カクテル以外に何か開発に力を注いでいるものはありますか?

野村

モクテルでしょうか。いわゆるノンアルコールのカクテルです。モクテルの課題は、ノンアルコールがゆえに飲みやす過ぎるところだと思っていて。例えば、1杯1000円以上もするのに10分で飲み終わってしまう。カクテルやワインはゆっくり味わいながら飲みたいじゃないですか。現在はその“差”の話をしていて、今後はモクテルを対価に見合うドリンクに昇華させたいと思っています。もう味が美味しいだけのフェーズではなくなっている気がしていて、具体的にはノンアルコールだけどアルコールのような高揚感やカラダが温かくなるような材料を入れていきたいですが、そのあたりは科学的根拠がないといけないので、奥が深いですね。モクテルは新しい文化ですが、昨今の健康志向も相俟って、ノンアルコールを選ぶ人も増えてきますし、需要は今後も増加傾向を辿ると思います。

日本ではバーそのものに敷居の高さを感じている人もいると思います。野村さんが手がけられるバーは、どのような空間を理想としていますか?

野村

バーは非日常ではなく、日常的な場所であるべきだと思っています。きっと、少し身構えてしまうのは、居心地に由来にするのではないでしょうか。僕も例に漏れることなく、入店して居心地がいいと感じるお店が好きです。癒される、落ち着く、楽しいなど、居心地の良さや好みは人それぞれなので、自分の居心地の良いバーを探すのも醍醐味のひとつとして楽しんでいただけたら嬉しいです。お酒の飲み方にセオリーはなく、自由度の高さが愛される理由でもあると思います。でも、飲料全般に言えることは、せっかく飲むのであれば、良さを知らずに飲むよりも、良さを知って飲むほうが格段に美味しく、楽しく飲むことができるはずです。僕がひとつのカクテルに対して説明をする根本的な理由は、美味しく、楽しく飲んでもらいたいという想いがあるからです。

最後に、野村さんにとって、TOKYOはどのような場所ですか?

野村

ロンドンに行って思ったことは、東京にはなんでもあるということです。それに嫌気がさしたのもロンドンに行った理由のひとつではあるんですけど、ロンドンってイメージとは裏腹に、本当に何もない。でも、ロンドンにはその物足りなさを違う何かに変換する力がありました。日本は、とても住みやすいと思います。ただ、それは僕が日本人で、日本にいると日本語で会話ができるからかもしれない。これにはコミュニティが広がりやすい反面、時折、良い意味でも悪い意味でも近過ぎるような感覚は覚えます。ただ、ハブという点ではとても魅力な街なので、この街を楽しい街にしたいとは常々思っています。

BARTENDER

野村空人

21歳で単身渡英。約7年間ロンドンのバーでバーテンダーとして活躍したのち帰国。Fuglen Tokyoにてバーテンダーとして数々の賞を受賞。2017年に独立しバー・ドリンクのコンサルティング会社「ABV+」を立ち上げる。以降、海外スピリッツブランドのブランドアンバサダーや、渋谷「The SG club」のバーテンダーも勤める他、最近では日本橋・兜町にオープンしたホテル「K5」のバー青淵「Ao」のバープロデュースや、スピリッツ・醸造酒など、様々なプロダクトのプロデュースを手掛けている。

Instagram - @passarinho_in_the_sky ( https://www.instagram.com/passarinho_in_the_sky )
- @abvplus.soran ( https://www.instagram.com/abvplus.soran/ )

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