BEAT CAST
RAPPER
Daichi Yamamoto
貪欲に音楽と向き合い続けるラッパー、Daichi Yamamotoの過去・現在・未来。
© 2020 BE AT TOKYO.
BEAT CAST
YOHJI UCHIDA
2021.02.11
高性能なカメラがスマートフォンに搭載され、誰もが手軽に写真を楽しめるようになった現代。そんな時代において、フォトグラファーはどのように自分たちの表現を追求しているのか。写真家・内田燿司は「被写体のムードや個性を映し出したい」と答える。彼が撮るのはヌード。だが、そこに描かれているのは官能的なものではなく、心が暖かくなるような何かがある。ニューヨークでライアン・マッギンレーに師事し、2019年より東京で活動をスタートした彼のこれまでとこれからについて、話を聞いた。
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内田さんが写真家になったきっかけを教えてください。
内田
もともと建築が好きで、建築家になろうと思ってたんです。そのために高校に入ったようなもんなんですが、いかんせん数学が全然ダメだったんですよ。建築やるのに必須じゃないですか、数学って。あとは映画もとにかく好きで、ついついセットに目がいくんですよ。
ー
景色が好きということですか?
内田
見るのは建築なんですけど、建物の中には人がいて混ざり合ってますよね。そのバランスが好きというか。そういうのを見ながら、こういう角度で撮影すればうまく映るのかな? とか、そういうことを考えるようになったんです。それで高校の終わりくらいから映像を撮るようになって。実は父親がカメラマンで、スチールもムービーも撮ってたんですけど、テレビのCMを見ていると「あ、これ親父がやったやつかな?」って思ったりして。ライティングとかで分かるというか。
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ライティングで誰が撮ったか分かるのはすごいですね。
内田
そのときの自分はまだまだペーペーですけど、こういう雰囲気の光ならたぶんうちの親父だろうなぁって。同じCMを見ながら友達は「この人かわいくない?」って出演されている女性について話したりしてたんですけど、自分は別の部分を見ていたというか、注目しているポイントが人とは違うことに気づいて。それでカメラマンの視点を意識しはじめて、アメリカの大学へ行って映像の勉強を始めて。ただ、親父にライアン(・マッギンレー)の写真を高校のときに見せてもらって衝撃を受けたんですよ。
ー
写真集やZINEですか?
内田
そうですね。この人やべぇって思って。大学で映像を勉強してても、それがずっと脳裏に残ってて。そういう多感な時期に見た衝撃的なものって、すごく影響を与えるじゃないですか。それで写真をやろうかなと思ったんです。
ー
大学を卒業して、内田さんはライアンさんに師事されたんですよね。
内田
そうですね。大学を卒業する1年前くらいから、誰かの弟子になりたいなと思って。それでライアンにずっとメールを送り続けたんです。60日間、毎日。
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その間、返信は一度もなかったんですか?
内田
全然なかったですね。実はライアンは第2志望だったんです。こんなこと言ったら怒られちゃうかもしれないけど、第1志望は(ヴォルフガング・)ティルマンスにつきたくて、その人には1日3回、100日続けて送ったんです。アシスタントを取らないっていうのは聞いてたんですが、メールの受信をブロックされても、メアド6回くらい変えて送り続けました。でも、やっぱりダメで。
それで他の人も視野に入れなきゃということでライアンにも送るようになったんです。そしたらメールがきて、「明日の10時にうちのオフィスに来れる?」って書いてあって。何度か面接をして、最終的に「卒業したらうちにおいで」と言ってくれて。
ー
ストイックに自分のやりたいことを追いかけていたんですね。
内田
自分の周りには日本人がいなくて、僕と同じように留学生はいましたけど、国に帰る人はいませんでした。通っていたのは映像や写真の学校だったので、卒業後はみんなそういう仕事に就いていて、そのまま日本に帰るのはイヤだったんです。だから危機感を感じていたんですよ、「俺もやらなきゃ」って。高い金払って親に通わせてもらっていたというのもありますし。認めさせたいという気持ちが強かったですね。
ー
実際にライアンさんのアシスタントになって、どんな日々を過ごしていましたか?
内田
1年半ほどアシスタントをしていましたが、自分の時間はほぼなかったですね。これまでずっと写真を撮り貯めてきましたけど、アシスタント時代の写真はほとんどなくて。携帯をマナーモードにしちゃダメで、夜中の3時とかに電話がくるんです。「これからスタジオで撮影の準備をしたいから、ライティング組んでおいて」って。朝起きてからやろうとしたんですけど、「今来い」と(笑)。
ー
アシスタントはひとりだけだったんですか?
内田
僕ともうひとり、アメリカ人のアシスタントがいました。
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2人だったとしても壮絶なアシスタント時代を過ごしたんでしょうね…。
内田
しんどかったですね。でもいろんなアーティストの撮影現場に立ち会えたし、『New York Times』とか『DAZED』とか、普通の人じゃできないような経験をたくさんすることができました。24時間、タイムズスクエアのバスの上でずっと撮影をしていたこともありましたし。きついし大変だけど、刺激的ではありましたね。とにかくアイデアがクリエイティブで、勉強になりました。
ー
ライアンさんはどんな人だったんですか?
内田
寡黙な人でした。でも、言うことはちゃんとハッキリと言う人でしたね。写真の話もたくさんしました。僕が撮った写真を見せてほしいと言ってくれて、それについてふたりで意見を言い合うみたいな。そうした時間も楽しかったですね。僕の写真のこういうところを見てるんだ、っていうのが分かって。
ー
たくさん影響を受けたと。
内田
ライアンは写真を撮るときにストーリーを大事にしていて、ひとつのアイデアが生まれてそれを形にするときに、すぐ撮影せず熟考してアイデアを2周くらい捻るんです。ロケーションが決まったら実際にそこに足を運んで撮影の流れを考えたりして、もっと洗練されたものにしていく。そういうやり方はすごく勉強になりました。
それと、チームワークもすごいんですよ。モデルをいろんなところへ行かせたりポーズをとってもらうときに、その指示を彼ひとりで出すんじゃなくて、ライアンの後ろにいつも女性の振付師がいて、その人が現場を盛り上げながらポージングの指示を出したりとか、ライアンもそれに便乗したりするんです。
ー
振付師? その方が現場のムードを作るということですか?
内田
そうなんです。彼が撮る写真って、上手い下手とかじゃなくて、ムードやテンションなんです。しかもその振付師の方はライアン専属で、彼とちゃんと意思疎通を図ってて阿吽の呼吸なんですよ。
ー
それはすごいですね。日本じゃ絶対できないことですよね。
内田
難しいですね。でも、そうしたスタイルの突き詰め方というのはすごく影響を受けました。そうやって好きな人たちからの影響を受けながら、自分のスタイルをどう築き上げていくかが大事だと思うんです。
ー
写真以外からインスピレーションを受けることはありますか?
内田
うーん、なんだろう…。ないと答えるとウソになるかもしれないですけど、「こういう写真を撮りたい」と思ってから、僕はめちゃくちゃ考えるんですよ。アイデアをどんどん詰めていくんです。だから、そこに外的要因はあまり入らない。何を撮りたいの? どうして撮りたいの? っていうのを鬼のように詰めていくので、あまりインスピレーションは受けないかもしれないですね。
ー
写真撮影という行為を通して、内田さんが求めている理想の写真というか、映し出したいのはどんなことですか?
内田
ぼくはヌードを撮りたくて。それはやっぱり高校生のときのライアンの写真で衝撃を受けて、それが写真をやろうと思ったきっかけでもあるから。でも、絶対にエロくならないヌードを撮りたいんです。
ー
それが「SKIN」というご自身のプロジェクトですね。
内田
そうですね。ライアンのやっているヌードは、アメリカの素晴らしい景色の中でヌードを撮影して、自由を表現しているんです。大前提として“アメリカの景色”がある。でも、それをぼくが日本でやっても意味がないんです。あと、日本でヌードを撮影してきた先人の写真家たちがいますよね。すごく扇情的な写真を撮っている人たちです。
ー
色気を感じるような。
内田
そうです。それも僕のやりたいことじゃない。時代に合わないし、それが受け入れられているのは日本やアジアだけだと思っていて。自分の表現したいヌードを考えたときに、僕はもうちょっと人にフォーカスしたいんですよ。その人が持つ個性や雰囲気に。
ー
被写体のパーソナリティということですか?
内田
そうですね。加えて、ダークなものは撮りたくない。もうちょっと楽観的な明るい感じにしたくて。
ー
内田さんのヌードは、モデルの方々が笑っているのが魅力的だなと思いました。
内田
撮影する前に2、3回会っていろんな話をするんです。それで、最後に写真の話をして。撮影するときは自分も脱いで、もちろんモデルが脱がなくていいって言えば脱がないんですけど、対等な関係を築いてから撮影しています。ロケーションに関しても、誰かが撮影した場所かもしれないけど、そこでモデルたちをこういう風に撮影したことはないんじゃない? っていうことをやりたいんです。それはすごく微妙な感覚で、説明するのが難しいんですが…。
ー
一生答えなんて出ないと思うんですが、常に変化している感覚はありますか?
内田
そのときで考え方が変わりますし、1ヶ月前の自分と今の自分は違う。でもそれは何かを積み上げてきて徐々に形を変えているのか、そもそもまったく別の形に変わっているのか、自分でもよく分からないんです。ただ思うのは、そのとき自分の思っているものを撮りたいということですね。だから日記みたいなもんなんです。
ー
アメリカと日本では、クリエイティブの理解に対して差があると思うんです。そうしたギャップの中で、ニューヨークから東京へ戻ってきて、写真家としてどう戦っていますか?
内田
撮影の機会があれば、とりあえず無茶はします。やっちゃいけないことってたぶん、人に見つかった瞬間に“やっちゃいけないこと”になると思っていて。撮影禁止の場所でなんで撮っちゃいけないかというと、モラルとか許可の問題なんですよね。でも、「俺はカメラを持っているのに、なんで撮っちゃダメなの?」って思う。カメラは写真を撮るためのものですよね。だから案件にもよりますけど、見つからなければOKでしょって思っているところもあって。まぁ、これは極論ですけどね(笑)。
内田
社会的にみたらダメなことなのかもしれないですけど、自分の表現したいことは自分で勝ち取るしかないじゃないですか。だから、無茶をしてでも撮りたいものは撮る。でも、そのための入念な準備はもちろんしますよ。
ー
東京の方ができることが限られている中で、そういう状況を楽しもうとしているようにも思います。
内田
そうかもしれません。東京と同じことは田舎じゃできないし、海外でもできない。ここにはここのカルチャーやシーンがあって、とにかく選択肢がたくさんある。人も多いし、広いのに狭い。土地によって雰囲気が変わるところもおもしろいですよね。そのどこかに自分がハマる場所があると思ってます。やろうと思えばやれる場所だと思うんです、東京って。出る杭が打たれる場面はあるかもしれないけど、それは回避しながらおいしいとこどりしたいですよね(笑)。
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5年後、どんな自分でいたいですか?
内田
難しいですね。なんだろ? 捕まっていたくはないですね(笑)。まだ個展を開いたことがないんですけど、写真は貯まっているんです。だから、5年以内に個展をやりたいです。あと、願わくばニューヨークに戻っていたいですね。
ー
やっぱり戻りたいんですね。
内田
そうですね。東京も楽しいですけど、日本に戻ってきたときに、またニューヨークへ行くためにやろうと思って帰ってきたので。
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写真撮影を通して得られるのはどんな感情ですか?
内田
猜疑心が90%、後悔が7%、残りが喜びって感じです。本当にこれでいいの? っていつも思うんですよ。アイデアを鋭くして撮ったとしても、まだまだ詰めが甘いんじゃないかって。キリがないですけどね。撮ってみて、「もうちょっとできたなぁ」っていう後悔もたまにあります。でも自分の理想通りの写真が撮れたり、想像以上のことができたときは本当に嬉しいんです。
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その喜びがかなり大きくて、得られるものがたくさんあるということですか?
内田
そう思います。めちゃくちゃ小さな針の穴に、超細い糸を通すような感じですけどね。やりたくない仕事もあるし、ほとんどがキツくて辛いんです。アホみたいな案件もあったりするし。でも、自分はやっぱり写真が好きで、それを通して素晴らしい体験をしているからなんですよ。そうした喜びがずっと体に残ってますね。だから続けられるんです。
PHOTOGRAPHER
内田燿司
2017年にアメリカ・ボストンにあるエマーソン大学を卒業後、2018年より写真家のライアン・マッギンレー氏に師事。1年半のアシスタント時代を経て、2019年からフリーランスの写真家として東京で活動をスタート。雑誌や広告などの媒体で活躍するほか、自身のプロジェクトである「SKIN」にてヌードの撮影にも取組んでいる。
Instagram:@yohji_uchida
https://www.yohjiuchida.com/
次の東京を創造していく表現者にスポットを当てたインタビューコンテンツ。