BE AT STUDIO HARAJUKU ARCHIVES
毎週日曜日の昼下がり、DJブースにジャンルレスな表現者たちが集う「BE AT SUNDAY」
毎週日曜日/14:00〜19:00頃まで
vol.16ゲストDJ FU
© 2020 BE AT TOKYO.
BEAT CAST
Salam Unagami
2021.10.29
今やネットに繋がるスマホが一台あれば、地球の裏側の音楽も映画も24時間いつでも楽しめる。でもどれだけ便利に情報を摂取しようと、現場でしか味わえない物語が色褪せることはない。その揺るぎない事実を確認するかのように、30年以上前から海外を飛びまわり、よろずエキゾ風物ライターとして自分の目と耳と舌で体験した異文化を紹介し、ラジオDJとして民族音楽をリスナーに届け、中東料理研究家として現地の味を伝道している人がいる。豊かな物語と大量の情報量にまみれながら、異文化を観察し続けるサラーム海上さんの明日はどこへ向かうのか。
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サラーム海上の「サラーム」ってどんな意味ですか?
サラーム
アラビア語で「こんにちは」とか「平和」という意味ですね。あいさつの言葉で元々は「あなたに神の平和が訪れますように」という意味です。90年代に雑誌に寄稿するときにペンネームが必要になって、つけました。
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肩書きもライター、ラジオDJ、料理研究家といろいろお持ちなので、今のお仕事を簡単に説明してもらってもいいですか?
サラーム
まずはラジオDJですね。NHK-FMの「音楽遊覧飛行エキゾチッククルーズ」、J-WAVEの「ORIENTAL MUSIC SHOW」、ラジオ高崎の「Musique Sans Frontière」という番組。あとは、双葉社のウェブや農文協の冊子の連載などの書き仕事や朝日カルチャーセンターの講師。コロナ禍前までは、出張メイハネという中東料理を振る舞いつつ、それにまつわる文化などをお話しするイベントをよくやっていましたね。今はオンラインでも料理教室もやってます。
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ありがとうございます。なぜインドや中東の音楽や文化を研究するようになったのかをお伺いしたいのですが、小学校時代からグレゴリオ聖歌、インドネシアのガムランなどを聴いていらしたとか。小学生といえば、歌謡曲を聴く人が多いと思うのですが……。
サラーム
歌謡曲は聴いてましたよ。でも、映画を観ていても、インドやアラブの音楽が流れるとそこに惹かれていたんですよね。ハリウッド映画『レイダース / 失われたアーク』で、主人公のインディ・ジョーンズが盛られた毒を間一髪のところで免れて、代わりに毒を飲んだ猿がぱたっと倒れるというシーンがあって、そこでイスラム教徒のお祈りの調べが流れていたなとか。そういうのを覚えています。
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音楽全般がお好きだったんですか?
サラーム
いえ、気に入った音楽だけです。小学校時代はクラシックとか授業で聴かされたりして、ベートヴェンはドラマチックでうぜえとか思ってました(笑)。
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その時代には、どうやって民族音楽を聴いていたんですか?
サラーム
子供の頃から民族音楽が好きだったとはいえ、高崎市のイチ子供だったので、ラジオ……特に、小泉文夫先生の「世界の民族音楽」(NHK-FM)や、坂本龍一さんの「サウンドストリート」(NHK-FM)から流れてきた民族音楽を聴いてました。あとは図書館にある音源ですね。あ、そういえばビートルズの中でもジョージ・ハリスンのインド音楽を取り入れた曲が好きでした。
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本当に、根っからのDNAレベルで民族音楽がお好きなんですね。差し支えなければですが、サラームさんには中東のDNAは入っていらっしゃるんですか?
サラーム
多分入ってないですね。うながみ、うなかみという姓は今全国で1,800人くらいいるみたいで、うちの家族は千葉県のうなかみ村というところがルーツになるみたいです。水軍の姓で、いわば海賊みたいなもの。だから僕は天然パーマですしね(笑)。
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なるほど。高校からバンド活動をされていたとか?
サラーム
今じゃ譜面も読めなくなりましたが、キーボードを高校から大学までやってました。ジャンルはニューウェーブロック。ギタリストがオリジナルの曲を作るのが得意で、ザ・スミスみたいな曲を目指してやってました。当時は、音楽が仕事になるなんて思ってもいませんでしたけどね。
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当時は、どんな風にして音楽を探して、聴いていたんですか?
サラーム
後々働くことになるんですが、「WAVE」というレコード屋に民族音楽のレコードがたくさんあって、聴きまくってました。今のようになんでもネットで聴ける時代ではなかったので、雑誌の「ミュージックマガジン」を読んで、ディスクガイド頼りに聴き漁ったり。ワールドミュージックというと、ブラジルやアフリカ、レゲエやサルサなど色々ありますけど、僕はなぜか中東音楽だったんですよね。
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バックパッカーもされていたと聞いてます。
サラーム
大学のクラスメートみんなが夏休みにヨーロッパを1、2ヶ月は泊まり歩くバックパック旅行を始めてました。僕も誘われたけど、どうせならモロッコに行きたいなと。そして実際に行ってみたら、言葉も話せないし、交渉できるような人間力もないし、コテンパンにやられたという感じですね。
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今の旅の達人という感じのサラームさんからは想像もできないです。
サラーム
大学生だったんでそんなものですよ。モロッコはフランス語が広く使われているんですが、その後語学学校でフランス語を習ったりしました。当時、ワールドミュージックといえば、植民地の関係とかもあって、フランス盤のレコードが多かった。そういった資料などが読みたいということもあって、フランス語は真面目に勉強しました。
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そのコテンパンにされたモロッコ旅の収穫はあったんですか?
サラーム
クスクスを初めて食べたとか、どうでもいいようなことですかね。次に訪れた時は、カセットテープを買い漁りましたね。あとは音楽がこんな場所でこんな風に聴かれているんだなというのが、リアルにわかって、音楽を立体的に感じられるようになったことです。
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百聞は一見にしかず、ですね。大学卒業後はどうしたんですか?
サラーム
先ほど話に出た「WAVE」に就職して6年いましたけど、その間も1年に一回くらいは海外旅行に出ていました。1996年に退職して、当時すでに結婚していたけど、そこから2年半バックパッカーで31カ国くらい回りました。当時31歳でそこから二十数年経つけど、訪れたのは5カ国くらいしか増えてない(笑)。中東ばかりに行って、アメリカには行ったことすらないですから。
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日本に住む人の多くは、アメリカンカルチャーの申し子みたいなものじゃないですか。
サラーム
僕もアメリカの映画も音楽ももちろん大好きです。でも、みんながそっちに行くのであれば、僕はこっちに行きますよ、ということ。差別化は生き残るための戦略のひとつです、ははは。
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なるほど。世界一周から戻ってきてからはどうしたんですか?
サラーム
レコード会社に入ったけど4ヶ月で潰れて、また次の会社も潰れました。そのあとでクラブ「WOMB」の開店準備期間に広報として一年半働きました。でも、色々な媒体が僕に書き仕事を依頼してくれて、それだけ必要にしてくれるなら自分にしかできない仕事をやろうと思い立ち、2000年に会社を辞めて、フリーライターに。ワールドミュージックの2回目のブームで、ブエナビスタソシアルクラブとか。そしてダフト・パンクを中心としたフレンチ・エレクトロが人気だった頃です。
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中東などの民族音楽は、アクセスできる情報がなかなか少なそうですね。
サラーム
中東やインドの古典音楽のフェスとかを自費で取材して雑誌に書いて、の繰り返しが出発点ですよ。フランス語の勉強や海外でのバックパッカーの経験とか全てが糧になってます。例えばレバノンの音楽情報なんて雑誌はあまり掲載しないじゃないですか。僕はそういったことを何より自分が一番知りたいんです。
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ネットでも知ることはできるけど……ってことですね。
サラーム
それじゃつまらない。立体的に感じたいんです。人に伝えるときには、BE AT TOKYOがおっしゃっている「物語」や「掛け算」が必要。例えば中東料理を紹介して、人に教えるときには、プロの料理人には僕が味で勝てるわけがないから、物語を添えます。例えば僕にこの料理を教えたくれたお母さんはどういう人で、どういう思いで作っているのかとかを、その時の写真と一緒に伝えるんです。すると、みんなも覚えてくれます。音楽も同じで、背景の物語を伝えると伝わる幅が広くなる。そんな風に、どうすれば物事を一人称に近づけるかを常に考えています。
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便利に効率的にやっているだけでは、物語は生まれませんね。
サラーム
たいていの人は物語をそんな遠いところまで探しに行かない。マイケル・ジャクソンなら彼の物語はみんなが知っている。僕の場合は、それがたまたまインドや中東というだけです。
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やりがいがあるとはいえ、前例がないから色々と難しいこともありそうです。
サラーム
でも、若い頃はやさぐれてましたね。僕が何を言っても、「前例がない」とどこでも言われてしまうから。
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料理の本の出版や料理教室など、中東やインドの料理に関する活動もひとつの軸かと思います。料理を始めたきっかけは何かあるんですか?
サラーム
母がNHKの「きょうの料理」の冊子を定期購読していたので、よく読んでました。だから元々料理を作ることも好きだったんです。何度も中東に行くようになって、見て食べて味に親しくなってくると、これなら作れるなと思って。音楽祭に取材に行くと、ライブはたいてい夜なので、昼はあまりやることがないから、ご飯を食べに行くんです。美味しいお店に通ううちに、ちょっと取材させてくれない? と厨房に話に行くと「もちろんいいですよ。実はうちで料理教室を始めるんです。なので撮った写真をください。代わりに今回のレッスンは無料です」とかそういう話になったり。市場への買い出しから同行したり、写真を撮ったり。そういうことを重ねて、料理本を出版することになりましたね。
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料理教室も人気のようですね。
サラーム
「出張メイハネ」という、料理を作りながら、その文化や音楽について喋るというイベントをコロナ禍以前には、やっていたんです。30人前とか作るんですけど、大人数の調理は体力的にすごいハードで、体の限界を超えないように、月3回までと自制してましたね。今の時代は、音楽よりも料理のほうが人気なんだなと痛感しました。DJイベントは、終電が過ぎた頃にお客さんの入りを見て初めて成功か失敗かがわかるんですけど、料理イベントは、オープン前にもう行列ができて、チケットが売り切れるんですから。
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それもサラームさんの中東料理という珍しさもあるんでしょうね。
サラーム
中東料理って、スパイシーでしょとか、ケバブでしょって言われるんですが、全然違うんですよ。そういうことをちゃんとわかって伝える人がいないんでしょうね。だから僕に声がかかる。料理人としての目標は、NHKの「きょうの料理」に出ることですよ(笑)、母が喜ぶから。
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そういえば中東にもクラブやクラブミュージックがあるという話を聞いて、驚きました。
サラーム
英米や日本のクラブみたいに歴史があるわけではないですけど、クラブはどこにでもあります。ハウスとかテクノが中東にはないと思っている人もたくさんいますが、今や世界でみんなが最初に作るのは、GarageBandやiPhoneのアプリで作るラップミュージックですからね。
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アメリカをはじめ、世界を席巻しているのはラップですもんね。
サラーム
90年代初頭に世界中に衛星放送が普及した頃、中東でもMTVのような音楽チャンネルができて、そこからいきなり最新の英米の音楽が流れ始めたんです。ビキニの女性の映像とか、中東ではそれまで見たことのなかったようなものが流れて、中東の音楽アーティストたちの意識も大きく変わりました。
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お話を聞いていると、中東は宗教の戒律が厳しいというイメージばかりが先行しすぎていました。
サラーム
過去に宗教が生み出したすばらしい音楽はいっぱいあります。でも、宗教がこの30年で、iPhoneのような機械や若者を熱中させるようなゲームを作ったことは一度もないでしょう。だから僕は宗教は時代遅れだと思うんですよね。宗教の存在感は、今の日本くらいが良いと思います。僕の周りには、もちろん敬虔なイスラム教徒もいますが、トルコの友人はみんな大酒飲みだし、とんこつラーメンを食べるイスラエル人もいます。自分を顧みてもフラフラと生きてきたし、そういう友達が自然と集まりますよね。
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音楽好きな人の中には、リベラルな人は多いですよね。
サラーム
そうですね。音楽って生き物で、ある時はかっこいいけど、ある時はかっこ悪くなったりする。それはロックであろうとインド音楽であろとジャンルに関係なく。ロック好きなら1968年のロンドン、レゲエ好きなら1970年代のジャマイカ、サルサ好きなら1960年代のニューヨーク、パンク好きなら1970年代のロンドンにいられたとしたら最高だったはず。でも、それはもう叶わない。でも、今現在世界のどこかで何か新しい音楽ムーブメントが起きているし、実際僕は2000年代のイスタンブールやインドの音楽シーンを直に見られたのが自分の糧になっています。何歳になってもそういうものを見ていきたいんです。
Radio DJ / Lecturer / Food Writer
サラーム海上
よろずエキゾ風物ライター / DJ / 中東料理研究家として中東やインドを巡り、現地の音楽をはじめとした文化全般を日本に紹介している。活動は原稿執筆のほか、ラジオやクラブのDJ、オープンカレッジや大学での講義、料理ワークショップ等、多岐にわたる。著書に『おいしい中東 オリエントグルメ旅』(双葉文庫)、『21世紀中東音楽ジャーナル』(アルテスパブリッシング)ほか多数。ラジオは、NHK-FMの「音楽遊覧飛行エキゾチッククルーズ」、J-WAVEの「ORIENTAL MUSIC SHOW」、ラジオ高崎の「Musique Sans Frontière」のDJを担当。
Instagram:@salam_unagami(https://www.instagram.com/salam_unagami/)
https://www.chez-salam.com
次の東京を創造していく表現者にスポットを当てたインタビューコンテンツ。