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RYOHEI KAMIDE

現代社会を射抜く「ハイパーハードボイルドグルメリポート」、上出遼平の視線。

2021.03.05

Photo:Shuhei Kojima / Text:Shinri Kbayashi

テレビ東京系列を始め、動画配信サービスでも観ることのできる「ハイパーハードボイルドグルメリポート」。「食うこと、すなわち生きること。食の現場にすべてが凝縮されている。これは、ヤバい人たちのヤバい飯を通して、ヤバい世界のリアルを見る番組」という紹介そのままに、例を挙げていくだけでも「リベリア共和国 元人食い少年兵の晩御飯」「台湾 マフィアの贅沢中華」「アメリカ 極悪ギャング飯」という強烈なタイトルが並ぶ。ギャラクシー賞を受賞したことも納得の、観る人の世界を広げてくれる。 自ら企画を立ち上げ、現場でカメラを回し、ディレクターやプロデューサーまでこなす、文字通りこの番組の生みの親である、上出遼平さん。幼少期からの興味や大学での研究など、この番組へとつながるポイントを伺いながら、番組に対する思いを伺った。話は、コロナでの作品作り、そしてテレビマンであること、ものづくりに対しての姿勢まで及び、番組と同じく現代を射抜くようなその眼差しは、鋭くも真実に満ちていた。

冒険、旅、善悪に対する興味。

上出さん自身は、小さい頃は、どんなテレビを観ていたんですか?

上出

小さい頃は、NHKしか映してないような家庭で育ったので、友達の家で観た、『おはスタ』に衝撃を受けました。あとは、テレビで放映していたジブリの映画は、テープに録って擦り切れるほど観てました。

大学では、法学部に進学されていますよね。どんなことを勉強していたんでしょうか?

上出

犯罪や非行にまつわることを研究していました。自分も中高にかけて非行に走った時期があったんですが、当時は自分もなぜだか苦しいし、周りにも迷惑をかけているし、何でこんなことをやっているんだろうという疑問があったんです。少年非行の研究現場では、「困ったやつというのは、困っているやつだ」という言い方をよくします。困っている若者に罰を与えてももっと困らせるだけで、犯罪傾向は悪化する。そうじゃない方法を探そうという視点が大事なんです。社会の風潮として、悪いことをしたやつは吊るし上げるように、名前を公表してしまえという声もあるんですが、果たしてそれでいいんだろうかと。テレビがやっていることも同じで、タレントが何か悪いことをしたらもうおしまい。ワイドショーで袋叩きにして、謝罪会見がショーになる。断罪は司法がやればいいと思ってます。

卒業後にテレビ業界一本で考えていたんですか?

上出

本が好きなので、出版社も考えていましたが、真面目というか頭が良くないといけない、と思ってました。他のテレビ局は最終選考で落ちてしまって、最後はテレビ東京に拾ってもらいましたね。

お好きな本など、何か影響を受けたものを教えてください。

上出

まず、小学生の時に初めて親にねだって買ってもらった『十五少年漂流記』です。何もない状況下で少年少女たちが協力して生き抜いていくということに心が躍った一方で、自分だったらできるのかという不安も感じました。例えば、今でも自分を取り巻くものがどうやって作られているのか分からないというのは結構不安で、全然自力で生きられていないなと痛感します。『十五少年漂流記』からは、自分の無力さを知ると同時に、解決することのワクワク感を知りました。

他にもありますか?

上出

写真家・藤原新也さんの『メメント・モリ』。写真と詩で構成されているんですが、インドで犬が遺体の足をくわえている写真に、「人は食われるほど自由だ」という言葉が添えられています。まず言葉の感覚がすごくかっこよくて、自分の考えていたことがひっくり返されて、もうひとつの世界を手に入れられたような感覚がありました。タイトルのメメント・モリは、死を思わずにどうして生きられようかという意味で、 死について考えないと生きることについて考えられないという感覚をこれを読んだ時に得た気がします。他には、星野道夫さんの写真集も小学生の時に親が買ってくれて、よく見てました。

テレビの功罪と「ハイパーハードボイルドグルメリポート」という逆流。

最近のテレビについて思うことはありますか?

上出

テレビは、挑戦者としての姿勢をなくしてしまったので、弱くなってしまったなと。チャレンジすることを止めれば、やがて絶滅するのは目に見えています。あとは、スポンサーばかりに目がいって、視聴者の方を見てないということも感じます。視聴者にちゃんと届いていなければ、番組のスポンサーにもメリットがないし、誰も幸せじゃない。本末転倒です。でも、こういうことってよく起きます。やはり会社というものは大きくなると、“責任の所在”ばかりに気を取られて、結局は誰も得しない選択をしてしまうんですよね。

上出さんが「ハイパーハードボイルドグルメリポート」を作る際に、少人数でやってるのも、それが理由ですか?

上出

制作費が少ないということもありますが、人数が多ければ多いほどパワーがなくなっていくのは事実です。例えば、ここにひとつのカメラがあって、僕はかっこいいと思っても、別の人がこれはかっこよくないと思うかもしれない。その別の誰かに配慮しようとすると、僕は「これはかっこいいかもしれないけど、かっこよくないかもしれないカメラです」と紹介することになります。それは何も言っていないのと同様ですよね。これはかっこいいカメラです、と言い切るのが表現というもの。でも、人数が増えるとそういうことが起きてしまうんです。

「ハイパーハードボイルドグルメリポート」を手がけるようになるまでは、どうだったんですか?

上出

入社して6年間はやりたいことが全然できていなかった。同期は早い段階で自分の番組を実現させたりして、悔しい思いもしました。テレビ番組を作るには、企画を通さなくてはいけないんですが、自分は募集に対して数を出すタイプじゃありませんでした。他の人は作家さんにお願いして集めた企画を一度に20本出す人なんかもいましたが、僕は自分で考えた企画を、半年に3本くらいのペースで出していました。その時は、企画書の書き方もよくわかっていなかったし、後から分かるんですが、誰が出すのかというのも重要だったんですよね。当時の自分のような立場で企画を出すとしたら、“保険が効いている番組”、つまり新しすぎない番組企画書じゃないと通らなかったんです。得体の知れない若い社員の突飛な企画案にベットする会社員なんていません。編成部もOKを出しづらいような企画ばかりだったと思います。

でも「ハイパーハードボイルドグルメリポート」の企画は通ったと。

上出

7年目になった時、現場で一緒だった先輩がたまたま選考する立場になり、僕の企画を通してくれたんです。僕は会社全体としては全く知られていない社員でしたが、現場では“ちゃんとしたVTRを撮る人間”という評価を得ていました。世界の辺境地に住んでいる日本人を紹介する番組で、結構毎回気合入れてVTR撮ってきていたので。でも、自分がやりたいと思うことや、テレビがやらなきゃいけないと思うことはできていなかったので、このままではしょうがないなと。

番組の特性上、「ハイパーハードボイルドグルメリポート」は、コロナ禍で海外へ撮影に行けないのは苦しいですよね。

上出

今は音声だけで「ハイパーハードボイルドグルメリポート」を作っています。特に日本国内では、地上波で顔が出ることの影響力は大きく、取材のハードルが上がるんです。だけどカメラを持たず、音声レコーダーだけだとみんな警戒せずに色々と話してくれる。もうカメラは邪魔だと思ってるくらいです。あとは、突撃ものって映像がない方が没入感があるんじゃないかなと。画面越しだと、視聴者にとってはあくまであちらの世界という感じ方になるけど、音声だけで鼓膜に直接来ると臨場感がすごい。スクリーンがないというのは、かなりのメリット。しかも、海外取材だと外国語だから音声のみにはできないので。

どういった人たちが登場するんですか?

上出

まずは右翼団体と左翼団体ですね。街宣車に「飯見せてください!」と突撃したり、左翼デモの参加者に声をかけたり。あとは路上で暮らす方々。彼らがストリートから社会を見る視点を借してもらえないか、という発想です。例えば10万円の給付金、どうするんですか? って聞いたら、10万円なんていらない。10万円で俺らの生活が変わるわけじゃないから、もらってもしょうがないと。方や、僕も含めて一般には、もらえるものはもらおうとしてますよね。不要なのに欲しているという欲望。やはり、自分たちとは違う常識の中で暮らしてる人たちと話すことは、とても大事なことだと思いますし、彼らは気を許してくれると3時間以上ぶっ続けで話したりするので、本当に面白いんです。

まさに「ハイパーハードボイルドグルメリポート」の特性ですね。

上出

SNSもそうですが、フィルターバブルの中で暮らしていていいのかと。Twitter、Google、Facebookとかのアルゴリズムってとても優秀だから、自分も含めてですが、その狭い世界で生きていると、気づかないうちに相性がいいものにしか辿り着けなくなっている。サービスの行き着く先って、お客さんに考えさせないようにすることだと思うんです。例えば洗濯機がないと今は洗濯できないように、サービスは人間の能力を奪っていく。そうすればサービスに依存するからサービスは安泰です。すべてのサービスはそのベクトルで進むと思います。テレビも同じく、分かりやすさに寄っていくのは、こういうことです。僕の番組みたいに、これってどういうこと? ってお客さん側に考えさせるのは、サービスに反している。正しいのか、正しくないのか、かわいそうか、かわいそうじゃないのか、教えてよ、と。であれば、テレビが分かりやすい解説をしたり、感情を誘導するような音楽をかけるのは、サービスとして当たり前で、やがてお客さんは思考する能力を失っていきますよね。実際に、みんなの力が衰えてきているという実感はあります。それを引っ張りあげるのが、このBE AT TOKYO、であったらいいですね。

公共の電波で発信することとは?

テレビという公共の電波とYouTubeなどとの違いは何だと思いますか?

上出

テレビ局が金を稼ぐだけの組織であれば、価値はありません。何のために公共の電波があるかというところに、テレビの存在価値のひとつがあると思います。金を稼ぐことはもちろん必要ですが、それにも増して社会をより良くすることを考えなければなりません。我々の放送する番組によって、視聴者の世界を広げることができるか、文化創造に寄与できるか、あるいは見てくれた人の心に余裕や癒しをもたらすことができるのかということを考えなければならない。一方で、番組が人の攻撃性を惹起させたり、世界を狭めたりするのであればそれは放送すべきではありません。この倫理観がテレビの強さでもありますし、電波を与えられる条件でもあると思います。

「ハイパーハードボイルドグルメリポート」でもご自身が出演されていたり、イベントにもご自身が積極的に登壇されていらっしゃいますよね?

上出

そこはかなり意識的に行ってきました。以前は周りからも、そんなに出たがりだったんだね、とか嫌味を言われたりもしましたが、そうじゃないんですよ。番組を観てもらえると分かる通り、実際はそんなに僕が出てくることはありません。本当の出たがりの人って、必要じゃないシーンに出てくるので一目で分かります。そんなのはマスターベーションでしかないし、公共の電波を使って承認欲求を満たしているだけなので、軽蔑しますね。いろんな媒体に出るのは、要請があるのはもちろん、それ以上に自分が弱いということを意識しているからです。

弱い、というのは?

上出

弱いからズルしようとするし、番組作りで実際にズルできちゃうんです。例えば番組に登場する外国の人の声を消して、その上に日本語の吹き替えをかぶせるとか、そういうこととは明確に距離をとっています。あまり大きくは言えないんですけど、そういう番組の作り方は、手に取るように分かるんですよ。なぜなら自分もやっていたから。番組の中で、現地の人の生声が少しでも残っていれば嘘をついていることはないはずですが、全部消えてると怪しい。事前に台本を作って進めるロケだったら、台本通りにするためにそうしている場合もあるでしょう。自分も顔を出していなかったら、ズルしていると思うんです。簡単だし、楽だから。でも、顔出ししておいて、それがバレたら再起不能になるじゃないですか。自分を追い込むために顔を出している面はあります。

それこそジャーナリズムの矜持ですよね。

上出

自分もですが、プライベートな世界ではかっこ悪いことをたくさんやっています。でも仕事、僕の場合はテレビでは、かっこつけていたいじゃないですか。何かまずいことが起きた時に、すぐに部下のせいにする上司とかいますけど、それってかっこ悪い。 査定に響くからそうするんだろうけど、長い目で見ると部下の信頼は失われるわけです。かっこいい、かっこ悪いってとても重要だと思うんですよね。

アフターコロナの展望。

コロナが落ち着いたら、どういったものを撮りに行きたいですか?

上出

実は、今ドラマとドキュメンタリーの間というか、変なものに取り組み始めています。でも本心ではちょっと時期尚早だと思っている部分もあります。というのも、フィクションを作るっていうのは簡単ではないと思うんです。今のこの世界をしっかりと解釈できていないと、フィクションは作れない。もっとこの社会を勉強するために、手を替え品を替えドキュメンタリー的なことをやりたいのが本音です。本当にフィクションが作れるのは50歳ぐらいかなと。けれど、今進めようとしている取り組みはどんなジャンルにも属さないものにしたいと思っています。

フィクションをひとつの世界で作り上げるのは大変ですよね。

上出

『「もののけ姫」はこうして生まれた。』というDVDがあるんですが、その中で、作品制作中に、作画担当の方がバイクで事故を起こしてしまうんですよ。一命をとりとめるんですが、そこで宮崎駿監督がすごい怒るんです。絵の締め切りが間に合ってないのに事故を起こしたことに対しての怒りなんですが、実際にそう思ったとしても普通なら言わないじゃないですか。周りにどう思われるとか考えちゃう。でも、そういう人がああいう世界を作れるんだなと。

働き方改革が叫ばれていて、判断は難しいですが、ものづくりの世界ではそれだけが正しいわけじゃないのかもしれないですね。

上出

理屈で説明できない事っていっぱいあると思うんです。理屈の中で作られたものって総じてつまらないし、こうこうこうでこうだから面白いよって言われても、面白くないこともたくさんありますし。スピリチュアルな話に聞こえるかもしれませんけど、場の空気とかエネルギーとか、空間の拘束力とかそういう力もあるし、あながち間違っていないとも思うんです。言葉で表せることなんて、この世界のほんの一部なんです。

TV Director, Producer

上出遼平

1989年東京生まれ。早稲田大学を卒業後、2011年株式会社テレビ東京に入社。「ハイパーハードボイルドグルメリポート」シリーズ企画、演出。企画、ロケ、撮影、編集まで番組制作の全過程を担う。空いた時間は山歩き。近著に『ハイパーハードボイルドグルメリポート』(朝日新聞出版)がある。
https://www.amazon.co.jp/dp/4022516747/ref=cm_sw_r_tw_dp_BBRB2FFNPNBXMBPHKQW8

Twitter:@HYPERHARDBOILED(https://twitter.com/HYPERHARDBOILED/

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次の東京を創造していく表現者にスポットを当てたインタビューコンテンツ。