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BEAT CAST

ARINA TSUKADA

混ぜる、交わる、反応させる。キュレーター塚田有那の、モノの編み方。

2021.11.19

Photo:Shinsaku Yasujima / Text:Keisuke Kimura

「理系」というだけで、得も言われぬ苦手意識に襲われたりする(理系の人たちごめんなさい)。お金意外の数字の羅列は、一生見なくていい。今回の主役である塚田有那さんはキュレーターであり編集者。そして、ごりごりの文系だ。けれど、あるとき彼女は思った。「理系のこともカルチャーを媒介にすれば楽しいのでは」と。掘り始めると、そこには新たな可能性とお宝が眠っていた。

両親にハードとソフト、両面を鍛えられた幼少期。

部屋にガムラン(鍵盤打楽器)があることに、まず驚きました。

塚田

インドネシアの民族楽器ですね。なぜか私、小学校3年生から高校3年生までガムラン教室に通っていて。最近ここに引っ越したんですけど、そのタイミングで寝室の奥で眠っていたものを引っ張り出しました。今日、なんのインタビューでしたっけ?(笑)。

ここから塚田さんの出自を探っていければと(笑)。ガムラン教室に通わせる親御さんも珍しいですよね。

塚田

母親が私に音楽を習わせたかったとき、はじめはピアノ教室とかバイオリン教室も体験してみたようなんですが、合わなくて1日で終わったらしいんです。そんなときにガムラン教室に連れていかれて、それが10年続いたという(笑)。

お母様がユニークな方なんでしょうか?

塚田

母親は常にオルタナティブな考え方をするタイプですね。私が小さい頃に小児喘息を患っていたこともあって、あるときから東洋医学を勉強するようになったり、文化人類学や民俗学などの本もたくさん読んでいましたね。その影響は結構受けたかなと思います。一方で父親は、映画の配給会社を立ち上げた人で。私たちの年代の青春である『バッファロー'66』なんかは父の会社で配給した映画の中でも最大のヒット作じゃないでしょうか。ヴィンセント・ギャロとの出会いは当時の私にとっても衝撃で、今でもよく覚えています。

ご両親ともに、いわゆる一般的な感覚ではなかったということですね。

塚田

私が小さい頃に感じた父親の印象は、とにかく自分の仕事の話ばかりをする人でした。でも、私だって友達とか、最近読んだ漫画の話とかしたいじゃないですか。だから、自分が見て、感じたことをいかに話せば父に伝わるかっていうのは訓練させられましたよね。面白い話であれば聞いてくれるので。私のトークスキルは父に鍛えられたといえるかもしれない(笑)。一方で母親は、言語化できずとも、身体的に感じるものは何かを第一に考えさせてくれる人で。それも、近代的社会のものではない感じ方。だからいま思うと、そこに自分のルーツはあるのかなって思います。

幼少期からハードとソフト、両面で鍛えられていたと。

塚田

両極な考えを編んでいくことを、昔から当たり前にやっていたかもしれないですね。編集者っていう職業は、中学生からなりたいと思っていたんです。テレビを見ていても、出演者じゃなくて撮ってる側が気になっていて。それと、中学生ながらに音楽雑誌とかにハマっていくと、当時のイケイケな編集者たちがアーティストから引き出した話なんかが、読んでいて本当におもしろくて。

そこからもずっと編集を志していたわけですよね?

塚田

そうですね。高校に入ってからサブカルに傾倒していくんですけど、大学時代に、先輩に誘われて「マガジンハウス」でアルバイトをすることになったんです。『ブルータス』と『カーサブルータス』の合同編集部だったんですけど、そこに大学2年から4年まで在籍していました。週1くらいで入るのが一般的で、内容もお使い程度だったんですけど、大学が夜間の文学部だったので、暇もあったから多い時は週5で編集部にいました(笑)。で、大学3年の年末にクラブに行ったら、知り合いの編集者がVJをやっていて。そういう場所で出会うと、突然フラットに話せるようになるじゃないですか。そこで「就活とかするの?」っていう話になり「ライターやりたいんです」って話をしたら、新しい雑誌の創刊があるからと手伝わせてもらったんです。それがライター仕事の最初でした。

就活は一切せずだったわけですね。

塚田

そうなんです。卒業してすぐにフリーになったんですけど、でもフリーのままでいいのかなっていう思いもあって、そんなときに『+81』というグラフィックデザインを扱う雑誌を制作するデザイン会社に入社して。デザイナーを海外から呼んでカンファレンスを開いたり、新しいギャラリーを作ったりとか、ゼロから何かを立ち上げるっていうことをやっていて、私もすべてに携わらせてもらったんです。でも、会社員っていうのが本当にできなかったみたいで……。下っ端の動きができないからめちゃくちゃ怒られてたんです(笑)。そこを辞めて、24歳から本当のフリーランスですね。そこから一般社団法人を作って、いまに至るって感じです。

噛み合っていないジャンルをガチでセッションさせて、新しい何かを生み出す。

アート&サイエンスを取り扱うWebマガジン「Bound Baw」の編集長もやってらっしゃいます。アートは結びつくんですけど、突然のサイエンスだなと。

塚田

10代の頃から、自分はデザインとかアートの領域でやっていくんだって思っていたんですけど、サイエンスとの出会いが突然訪れたんです。それまでは、サブカル一直線だったんですけど、『ブルータス』の編集部バイト仲間だった先輩が、研究者への道を歩み始めて。先輩はいわゆる脳科学などが専門だったのですが、カルチャー好きの人でもあったので、科学のおもしろさをカルチャーのように伝えられないかという話をされて。

そこからちょっと興味が湧いて、イベントを手伝ったんです。そうして最初にやったイベントが、脳科学者の坂井克之さんという方と高木正勝さんの対談で。以前から高木さんの音楽は聴いていたので、入口がめちゃくちゃ入りやすくて、しかもその対談が衝撃的だったんです。

どう衝撃的だったんですか?

塚田

高木さんは、自分がピアノを弾いていると、自分というものが空間全体や、コンサート会場全部みたいに感じるといったことを話されていて。そのとき「あれは脳で何かが起きているんですか?」と、坂井先生に聞いたんです。そしたら先生が真面目に「なぜなら、脳にはこういう機能があってね」みたいな説明をしてくれたときに、衝撃を受けて。

サイエンスって、まったく違うフレームで語ることができるんだってわかったとき、自分の中でパラダイムシフトが起きたんです。そこからサイエンスに関わる活動を始めるようになって、どんどん研究者の方と会う機会が増えていったんですけど、彼らの世界観ってよく考えたらアーティストとまったく変わらない。たとえば、生命の誕生の謎を追っている研究者なんかが話す言葉は、とてもアート的だし詩的だと感じます。そう思ったときに、カルチャー好きの自分が掘り起こすと、サイエンスの世界はまだまだ宝が眠っているなと。

その時代に作った制作物とかはあるんでしょうか?

塚田

東京大学の広報室に当時いらっしゃった清水修さんという方の縁で、『SYNAPSE』という名前のフリーペーパーを出しました。これがきっかけで、若手研究者の5人と有志のチームをつくったんです。そこで引き続きフリーペーパーを出したりワークショップをやったりしていくうちに、ひとつのジャンルにしばられない、多角的なものの見方を知っていくことになりました。それから10年以上経ったいまも、アート&サイエンスをライフワークに掲げて活動しています。

塚田さんが10年前に手がけた雑誌『SYNAPSE』。「パターン・カタチ・リズム」というテーマのもと編集されている。太陽系最古の火成岩や、折り紙工学の幾何学などは、デザイン的観点から見ても秀逸。

そもそものそもそもなのですが、アート&サイエンスの定義ってなんなのでしょうか?「アートを科学する」みたいなことですか?

塚田

それもそうですし、例えばアート作品における物理現象を解析するみたいなこともそう。他にも科学やテクノロジーの知見を使って、アーティストが自分の作品に昇華することもそうですね。ただ、ここに定義はないと思っていて、それよりも大事なことは、いかに分野を横断して新しい化学反応を生み出せるかっていうことだと思います。それはファッション×アートとか、音楽×アートとか、なんでもよくて。だから、私のモチベーションのひとつは、まだ噛み合ってないジャンルをガチでセッションさせて、新しい何かを生み出すってことにあると思っています。

高木さんの事象ってこれまで第六感で片付けられていた気がするのですが、それをロジカルに説明するってすごいですよね。

塚田

そうそう。だから「表現にテクノロジーを使えばアートサイエンスですよね」とか言われると時々イラっとするんですよ(笑)。もっと本質的な部分の話なので。

さらに言えば、そうした言語化しえないような世界の捉え方や感性を、それをサイエンスやアートのアプローチを使って、いろんな見せ方をしていきたいとも思っています。たとえば世界中にある祭りや儀式には、必ず何らかのスピリチュアルな感性がはたらいているじゃないですか。それが世界共通にあるとするならば、人々は本質的に何を感じているのかをもっと掘り下げてみたい。そういう意味で、最近のテーマは、アート&サイエンス&スピリチュアルだと思っています。

日本人って神社仏閣に足を運ぶし、元旦にお参りにも行くし、意外とスピリチュアルな部分って持っていますよね。

塚田

全員、普段の生活から使っているんですよね。感覚的には誰しもが持っているものだと思うんです。で、それをもっと深く体感してもらおうと企画したのが、岩手県遠野市でやる遠野巡灯籠木(トオノメグリトロゲ)っていうイベントで。

ダンスフロアへ行けば、ロボットも人間も一緒。

遠野といえば、『遠野物語』であり、妖怪伝承ですね。

塚田

なぜ、妖怪の伝承が生まれたかっていうと、圧倒的に自然の存在のほうが大きいからだと思うんです。あれだけの山に囲まれると「人間って小さいな」って思うし、夜もすごい暗いし、冬は本当に寒い。ひとりでそんなところを歩いていたら、そりゃなんか見るよって思うわけです。伝説が生まれやすい地形とか風土ってあると思っていて。

そのイベントはどんなイベントなんでしょうか?

塚田

「異界を巡る3日間」というメッセージで、異界って非現実的な気がするけど、実は普段の生活でも、自分たちが感覚を研ぎ澄ませれば感じられるものだと思うんです。例えば、夜通し踊って、高みに達したときにハイになる感覚とかもその一種で。その感覚が開きやすい場所にみんなを連れていって、遠野の伝統芸能である「しし踊り」を目撃して、さらに感覚を開いてくれるアーティストのライブセッションがあり、遠野産のどぶろくもありという合わせ技で、いろんな化学反応を起こせたらと思っています。

遠野に興味をもったきっかけはなんだったんでしょうか?

塚田

民俗学に興味を持つと『遠野物語』は必ず通る道なので、ずっと憧れの地だったんです。そして、去年たまたまとあるオンライントークで遠野に行きたいと熱弁していたら、リスナーの方からメッセージが来て「会わせたい人がいる」と。それで紹介してもらったのが遠野に住んでいるローカルプロデューサーの富川さん。話してみて完全に意気投合したのと同時に、ちょうど死生観を研究するプロジェクトが進行していたのもあって、遠野に取材に行ったんです。そしたら、映像を依頼したパートナーの坂本もだんだん遠野にハマりだして、「サントラも超豪華なドキュメンタリーフィルムにしよう」と。結果、30分のムービーのなかに、札幌在住のKUNIYUKI TAKAHASHIさんら5人のアーティストに楽曲制作を依頼したら、もう、めちゃくちゃかっこよくなって。

塚田

この映像を遠野で上映すると同時に、音楽を担当したアーティストも呼んで、ライブしてもらったらいいのではというアイデアから、今回の「遠野巡灯籠木」の骨子が組み上がっていったんです。加えておいしいどぶろくとご飯を用意して、宴をして、みんなが踊るフロアのなかに妖怪とか異界のものが混じっててもいいような空間を作れたらと(笑)。

あと話を聞くに、塚田さん、相当音楽がお好きですよね。

塚田

テクノとか、電子音楽全般が特に好きですね。だから今回のツアーも、シンプルにいうと、本当の意味で踊りとは何かを考えていて。クラブに行ってかっこつけて踊るんじゃなくて、太古からある、人間が動物になるみたいな踊りというか。今回、ライブの出演者として登場してもらう「しし踊り」は、太鼓の音に合わせて体が奥底から反応するものがあるんですよね。それに出演者のOLAibiさんやKOM_Iさんらの音楽に触発されて、あらゆるものがフラットになっていくなかで、おいしいお酒を飲む。ある種、プリミティブな体験ができるといいなと思っています。たとえば来年はそこにロボットが混ざってもいいなって。

ロボット! アートサイエンスの領域をもっと色濃くしていくわけですね。

塚田

2020年の3月に、KUNIYUKIさんとOLAibiさんと一緒に、120台のロボットと共演するっていう企画をやったんです。菅野創というアーティストの作品『Lasermice』から発展した、ライブ型プロジェクト「Lasermice dyad ensembles」で、コンセプトは「ロボットと踊るダンスフロア」。小さいマウスロボットが会場を動きながらレーザーを出し、そのレーザーを感知した他のロボットが音を鳴らすという仕組みなのですが、それが120台もあると、ある瞬間からリズムがシンクロしはじめたりするんですね。カエルとかも、突然みんなが同期して鳴くタイミングがあるじゃないですか。そうした自然界にあるシンクロニシティをロボットでつくったのがこの菅野創の作品です。初めてこの作品をみたとき、「これで踊れるじゃん!」と思って。だいぶマッドな体験だと思うんですけど(笑)。

たしかにマッドなサイエンス感が漂っていて、いいですね(笑)。

塚田

根本には、音楽を鳴らせばみんな一緒でしょ! っていう思いがあるんです。いろんなジャンルを対等に、フラットにしていきたい。ダンスフロアへ行けばみんな対等ですよね。ロボットも一緒で、人間もロボットも、ダンスフロアなら対等になれるんじゃないか、なんてことを菅野創くんと話していました。

日本にも民間伝承の類はたくさんありますけど、やはり遠野がいちばん魅力的ですか?

塚田

奄美とか熊野とか、魅力的な土地はたくさんありますね。ただ遠野に関しては柳田国男の功績が大きいですよね。1910年に『遠野物語』を出して、そこから民俗学っていうのが認知されるようになって、というアカデミックな蓄積が遠野にはたくさんある。しかもなお、全員とは言わないけど、遠野には見えないものがいることがあたり前として捉えられていて。

今後もずっと続けていくんでしょうか?

塚田

最低でも3年くらいはやりたいなと思っています。海外のアーティストもゆくゆくは呼んだりしたいですね。東北だから北欧限定にするとかっていう話もあるから、最終目標はビョークですかね(笑)。めちゃくちゃ異界と繋がれそう!

死と漫画をもって、来たるAI時代を伝える。

最近の活動だと、『RE-END 死から問うテクノロジーと未来』という本を編集されていました。これまでの話を聞いて、いろいろ腑に落ちるところがありましたね。

塚田

「HITE-Media」という研究プロジェクトがあって、私も5年くらい携わってきました。Human Information Technology Ecosystemの略称でHITE。今後AIやロボティクスなどの情報テクノロジーが発展していくときに、人間や社会はどう変化するのか、具体的に言えばデータプライバシーに関わる法制度とか権利などの問題が出てくるけど、そこに人文社会科学の研究者らも議論に加わり、分離融合方の研究を進めていこうとするプロジェクトです。

ただ、まあ、そういう話をいざ多くの人と共有しようと思っても、小難しいものだと思われてしまうわけですよ。だけど、漫画だったら伝えられるし、想像しやすくなるんじゃないかって話になったんです。たとえば「もしドラえもんのような家形ロボットが実装化されたとき、取扱説明書をつけるならどうなるか」とかだったら、話は盛り上がるし考えやすい。契約者はそもそものび太じゃなくてセワシくんだよねとか。もしドラえもんがしずかちゃんを傷つけたら誰が責任を取るのかとか。要するに、漫画の中で描かれたさまざまナラティブが、自分たちの立場でも考えられるフックになるんです。そういうのをやってきたチームで、集大成の一冊として作ったのが『RE-END 死から問うテクノロジーと未来』なんです。

たしかに、漫画という媒介があると、自分ごととして捉えられそうです。

塚田

未来を考えさせる漫画となると、ありがちなのは主語「人類」とかの巨大な話になっていくなと。でも、私はもっと個人個人が自分ごととして考えられるものは何かをずっと探っていました。そのとき誰もが避けて通れないのが「死」だと思ったんです。

例えば、この本でも紹介しているエピソードの中に、最近韓国のテレビで、病気で亡くなった娘をVR上に再現して、お母さんと再会させるっていうドキュメンタリー番組があったんです。まぁ賛否があるわけですよね。いまはVRアバターをつくるのにコストがかかるけど、10年経ったら、もっと気軽に死者をVR上に復活させるようなサービスが普通にはじまっていると思うんです。じゃあそうしたときに、私たちはどんな選択をするのか、と読者に問いかけたくて。

韓国の例は、昨年末のAI美空ひばりにも似ていますよね。

塚田

それらを「死後労働」と呼ぶ動きもありますよね。死んだあとも働かされるという。そうしたものも、生前に意思表示できるようなプラットフォームをつくろうという動きもあったりします。

さっきの話にも繋がるんですけど、人間の中にある、なかなか開かれていない身体的な感覚は、死とか生を考えるときにより開かれるんじゃないかなと思っていて。都市に生きていると、死から遠くなっていくけど、遠野に残る民俗学には、何度も死や魂に関する話が登場するんです。人間の根源的なことを考えるときに、死は避けて通れないテーマだと思うんですよね。

やりたいことだらけだと思うんですけど、現在考えている次の活動はなんでしょうか?

塚田

来年はもっと自然環境について勉強したいし、なんらかの企画を発展させたいと思っています。それはエコ活動というよりも、日本が元々持っている自然観を掘り下げて、いまの環境問題を接続したいというか。別に電気を捨てて自然で暮らそうというわけではなくて、都会の中で生活するし、カルチャーは好きだし、テクノロジーの行く末を考えるのも好きです。一方で、レイヴで山の中で踊っているときとか、大自然の前に立ったときにやってくる感覚もとても偉大なものだと思っていて。そうした根源的に自然を求める欲求は必ず誰の中にもあると思っているので、それを体感できる何かを深めていきたいと思っています。

少なくともあと10年は、どの業界も環境問題がキーワードになってくるでしょうね。

塚田

そこで思うのが、日本で環境問題にアプローチするアーティストってまだすごく少ないじゃないですか。それってすごくもったいないなと思っていて。世界の動向を考えれば、この先おそらく100年以上かけて、環境と向き合わざるを得ない時代がもう到来しています。その世界的ベクトルにアーティストはもっと乗っかるべきだし、戦略としてもいいと思うんですけどね。そんな思いもあって、来年の1月から、まずは勉強会やトークイベントからはじめて、今後プロジェクトを進めていけたらと思っています。

Editor / Curator

塚田有那

つかだ・ありな。東京生まれ東京育ち。一般社団法人「Whole Universe」代表理事。世界のアートサイエンスを伝えるメディア「Bound Baw」編集長。近著に『RE-END 死から問うテクノロジーと未来』『ART SCIENCE is アートサイエンスが導く世界の変容』がある。

Instagram : @arina02(https://www.instagram.com/arina02/
http://boundbaw.com
https://hite-media.jp

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次の東京を創造していく表現者にスポットを当てたインタビューコンテンツ。