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BEAT CAST

MAMI

唯一無二の書道家を目指して。反骨精神が宿る万美の文字。

2022.01.21

Photo:Shin Hamada / Text:Yuichiro Tsuji

墨と筆を用いて力強く書かれた漢字や数字、アルファベットの数々。ヒップホップカルチャーから多大なる影響を受けたという書家・万美の文字だ。彼女は自身が通ってきた文化や、それまでの経験を巧みに作品と融合させ、表現活動をおこなっている。そして、そこに書かれた文字にはなにか魂のようなものが宿っている。そうして生まれた作品の数々はいま、さまざまなところで評価を得ている。では、その魂の正体とは一体何なのか? それを知るべく、彼女のもとを訪ねた。

楽しいというよりも、焦りのほうが強かった。

万美さんは幼い頃、どんな女の子だったんですか?

万美

小学校3年生くらいまで、すごくシャイでした。だけど、そのときの担任の先生が美術に明るい人で、「絵を描いて自由に表現しましょう」って日頃から言っていたんです。それで私も表現をすることが生きがいに感じるようになりました。それで書道をはじめたんです。

どうして書道だったんでしょうか?

万美

授業で書道がカリキュラムに含まれていて、そこではじめて筆を握ったんです。そのときに書いた字が自分でも上手く書けたという手応えがあって。友達からも「書道習ってたの?」と言われるくらいで。それがすごくうれしくて、家に帰ってから「書道を習いたい!」って親に直談判したんです。そこからはじまりましたね。

それまでは自分が前に出るというよりも、ずっと後ろに隠れているような子供だったのが、書道をはじめてからは性格が明るくなって、運動会のときも応援団をやったりだとか、前に出られるようになりました。

書道をきっかけに自信がついたんですね。書道教室に通うのは、やっぱり楽しかったですか?

万美

最初はめちゃくちゃ悔しかったんです。私は小学校3年生のときにはじめたんですけど、周りにいる子たちのほとんどが1年生の頃からはじめているから、みんな段や級を持っていて。私は9級からのスタートだったので、それがとにかく悔しかったですね。

だけど、その悔しさが原動力になって、めちゃくちゃがんばったんです。だから、楽しいというよりも、焦りのほうが強かったですね。書道のことが本当に好きだったからそう思えたと思うんですけど。

負けず嫌いなんですね。

万美

好きなものに関してはそうですね。だけど、興味ないことに関しては本当に無頓着で(笑)。

そこからずっと同じ書道教室に通っていたんですか?

万美

高校卒業まで通っていました。すごく面倒見のいい先生が経営している教室で、子供の躾にも力を入れているところだったんです。だから託児所みたいな感覚で子供を預けている方もいました。私自身も書道以外にたくさんのことをそこから学びました。

書いていたのは基礎的なことだったんですか?

万美

楷書から勉強していましたが、いま私がやっているような現代的な表現は学んでいないですね。本当に基礎からしっかりと教えてくれるところでした。

基礎がしっかりしていないと、いまの万美さんのような表現はできないですよね。

万美

絶対にできないです。そこで基礎を叩き込まれたからこそ、いまの自分があるって自信を持って言えます。

これまでに書道をやめようと思ったことはないですか?

万美

一度もないです。当時はとにかく上級生を抜かしたい一心で、それが原動力だったので(笑)。ただ、結果的に抜かすことはできたんですけど、ひとつだけ私の中で心残りがあるんです。教室で私よりも上手な子がいたんですけど、高校卒業前の大会で私のほうがいい賞を獲れたことがあって。それに対してずっと、なんでだろう? っていう疑問がつきまとっているんです。文字の美しさとか、そういうのって数字で測れるものじゃないから、判断が難しいというのは分かるんですけど、なんだかすごくモヤモヤしていて。

審査員の方々の好みとかもきっとあるんでしょうね。

万美

私は高校卒業後に上京して、書道家としての勉強をする予定だったんですけど、その上手な子は教室で習い事として書道を続ける予定でした。もしかしたら審査員の方々は、そういう私を勇気付けるために賞をくれたのかなと思っていて、なんだかそれがすごく悔しかったんですよ。あの子のほうが絶対に上手だったのに、私の方がいい賞を獲ってしまったというのをふと思い出して、いまだにモヤモヤしたりします。

『同じ文化の違う世代よりも違う文化の同じ世代』。

上京してからは大学に入学されたんですか?

万美

大東文化大学に書道科があって、そこに入りました。書道の技術はもちろんですけど、歴史とか中国語の勉強もしていました。

高校生の頃から書道家になろうと志したわけですね。

万美

そうですね。自分が何かを書いたり、工作したり、手を動かすことによって周りになぜか人が集まってくれるのを感じていて。だから表現活動が自分には向いているのかなと漠然と思っていたんです。育った環境も、叔父がフォトグラファーだったり、母がフラワーアーティストをしていたり、従兄弟も書道家として活動していたり、親戚にも同じような表現活動をしている人が多かったので、不自然なことではなかったんです。

実際に大学に入ってどうでした?

万美

書道の基礎知識が固められ、あとは在学中4年間、とにかく書きまくったので技術も磨かれました。書道科って書く人たちだけじゃなくて、判子みたいな印をつくるために勉強している人たちもいて、そういう繋がりができたのも大きかったです。だからすごくいい時間を過ごすことができました。知識を得て、技術を磨いて、仲間もできて。

卒業後はみなさんどういった道に進まれるんですか?

万美

同期はほとんど書道をやめてしまいましたね。就職してクルマのディーラーになったり、保険屋さんになったり、実家に帰る人も少なくなかったです。就職して書道を続けている先輩もいましたが、お給料がほとんど書道に消えていくということで、書道愛はあるのに辞めざるを得なかったり……。

書道もそれだけお金がかかるということなんでしょうか。

万美

紙、筆、墨といった道具代にお金がかかったり、あとは師匠へのお月謝を払わないといけなかったりするんです。

師匠というのは、大学の先生?

万美

その場合もありますし、そうじゃない場合もあります。私の場合は先生でしたけど。

それは学費とは別に月謝も払うんですか?

万美

学校の授業とは別で教えてもらうので月謝がかかるんです。書道界ってすごくグレーなところがあって、上下関係が厳しいのは当たり前かもしれないんですけど、それが気持ちいいものではないんです。お歳暮合戦みたいなのがあって、師匠にいかにいい贈り物をするかで対応が変わったり。それで賞を取る人が決まったりもする。時にはその倍額の礼金を師匠に払わなきゃいけなかったりもして。

すごい文化ですね……。

万美

私はそれがいいことだとは思わなくて。そこでまたモヤモヤしてしまうという……。その気持ち悪さも、いまの原動力に繋がってはいるんですけど。

そういった背景に対して、疑問を唱える人はいなかったんですか?

万美

最近は徐々に増えてきていますよ。私の場合はクラブで遊んでいるときに、ヒップホップの仲間たちの生き方と、書道をやっている人たちの生き方が全然違うことに気づいて、それでようやく疑問に思うようになりました。

ヒップホップは小学生の頃から聴いているんですけど、大学に入って実際にクラブへ行くようになってから、やっぱり音楽を通して出会った人たちのほうが一緒にいて気持ちがいいなと思うようになりました。自分は自分の人生を歩む、思った方向に進むっていうラッパーたちの強いリリックに目を覚まされた感覚がありますね。もし自分がヒップホップを聴いてなかったら、いまもグレーな書道界にいたと思います。

とくに強く感銘を受けたリリックなどはあるんでしょうか?

万美

Shing02さんの『400』という作品のリリックにはすごく影響を受けて、いまでもその言葉を糧に活動を続けています。

『400』
400!字詰めに煮詰めて己を見つめて言葉を沈めて
400!世の中の嘘800真っ二つに切る言葉
400!字詰めに煮詰めて己を見つめて言葉を沈めて
400!潰れるマスコミ広がる口コミビートを打ち込み

鉛の筆 日溜まりの樹の下で溜まりに溜まった気持ちを吐く
沢山の感情を掻き分けて先駆けて辿り着く本音
とんでもなくデカい問題の気配に囲まれて暮らす社会
途方もなく虚しく感じさせる生き甲斐の掴めない実体
では一体働くこととは何かと一から考え直せば
頭と体を奉仕する意義、生活を維持する実感
道具と時間と環境揃えば何でもできるかといえばそれは違う!
何もかも駄目、嫌な仕事をする羽目全ては飯を食うためだけ
誰も彼もお金が悩みの種のお陰貯めても盗られるだけ
だから人間辞めって馬鹿な真似そう簡単に死ねない血と肉と骨
中に宿る心、子供の頃の夢をここで呼び起こすところ

若い人間しかできないことできない仕組みで諂い溺愛する権力
なんて結局積極的な個性も殺す埋もれる実力
新しい価値掲げる若手を旗手に結束固めて
逆らう力を蓄え仲間と輩を片手でまとめて
もう一方で握る舞台仕切る隠れてる黒幕の尻尾
今日日本動かす呑気な大人も明日は人事じゃないぞ
若い人間にも一言、親離れをするまでまだ半人前
一人前の飯平らげるだけ下の手本になること自覚しろ
二人前の稼ぎ出来るまでは一人の女も守れないから
三人前の責任を背負えば家族の酋長一人で守る宝
だから独り身のうち道を極めろ、選択する覚悟しろ
衣食住だけ確保しろ、炊事洗濯やってる奴手を挙げろ!

最新の機械の使い方も理解できない大人が牛耳る世界
最近の若い世代の扱い方知らない本当なら怖い
なのに臭いものに蓋、話すだけ無駄、知ったか流行りの歌
ちょっと待ったそれで終わりか?だからお互い分かち合うのは
同じ文化の違う世代よりも違う文化の同じ世代、そういう時代
何が大事か誰がマジか見切りつける締め切りも間近
これから始まる話に恥も外聞も大義名分もなければ
この国の端と端から集まる子達が命を賭けては
一人変われば周りの百人変える力持つこと忘れんな
長いものはぶった切る出る杭は打ち返す芸術で訴える!

長いものはぶった切る出る杭は打ち返す芸術で訴える!

万美

『同じ文化の違う世代よりも違う文化の同じ世代』、『長いものはぶった切る出る杭は打ち返す芸術で訴える!』っていうリリックが本当に心に響いて。書道界の上下関係の中にいたので、音楽をやっている人たちや、違うフィールドで戦っている人たちからのほうがインスピレーションをもらえるなって素直に思えたというか。だからこのリリックはいまでもずっと意識しながら活動しています。

ヒップホップのリリックと自分が書く字は力強い。

大学を卒業して書道家になられて、すぐに仕事が舞い込んでくるものですか?

万美

デビュー当時はめちゃくちゃアルバイトをしていました。書道家としてご飯が食べられるようになったのは卒業してから2年過ぎたくらいからなので、24歳の頃ですね。でも、アルバイトもただお金のためだけにっていうのは嫌だったので、クリエイティブ関係の仕事があるところで働いていました。あとはBARでもバーテンダーのバイトをして、お客さんに営業してましたね。「筆の文字で名刺つくってみませんか?」って(笑)。

クリエイティブ関係の仕事というのは、具体的にどんなものだったんですか?

万美

書道教室で教えてお月謝をいただいたり、ヒップホップの作品のタイトルを書いたりもしました。むかし渋谷パルコにあった「2.5D」というスタジオでも働いていたんですけど、そこの母体となる会社に入ってくるお仕事で「筆文字が必要なときは絶対私にください!」って言って、小林幸子さんのCDジャケットや、映画の小道具として使われる書道作品を書いたりしてましたね。とにかくお金を稼がないと東京では生きていけないので、貪欲に仕事を求めていきました。

万美さんはDJ KRUSHさんの『軌跡』のタイトルの文字も書かれたんですよね。

万美

そうですね。「ウルトラ・ヴァイヴ」(レコード会社)の方からお話をいただいて。私が日本語ラップのCDを買い漁ってたときに、その会社のロゴがジャケットの隅に描いてあることが多かったんです。それで18歳で上京したときにメールを送ったんですよ。自分はヒップホップが好きで、書道もやってて、ヒップホップと絶対に相性がいいから、何か力になれることがあれば連絡くださいって。

そしたらピンゾロというアーティストのお仕事をいただいて。そこから何度かご依頼をいただくようになったんです。

DJ KRUSHさんといえば、ヒップホップ界の重鎮的存在です。やはりうれしかったですか?

万美

最初は信じられませんでした。「私でいいの?」みたいな(笑)。

この「DJ KRUSH」の文字もどことなく漢字っぽさがありますね。

万美

それは意識しました。KRUSHさんの職人感であったりとか、日本の楽器を使って楽曲をつくっているということもあって、和を感じられるように。

これはKRUSHさんに限らずですけど、ヒップホップのリリックってすごく力強いじゃないですか。私も自分が書く字は強いなと思っていて、すごく相性がいいと思ったんです。それでもし筆文字のタイトルが必要な場合は絶対に私に声をかけてくださいって伝えていたんです。私よりもヒップホップ愛にあふれる書道家はいないと豪語させてもらいましたね(笑)。

ご自身の持ち味はそうした力強い線にあると。

万美

そうですね。基礎ができているのが自分の最大の武器だと思っていて、そうした力強い線は基礎ができているからこそ生まれるものだと思っています。だから字も崩れにくいし、線も強い。数字やアルファベットを書く際も、それができるんです。

書道の基礎というのは、どのようにして得られるんですか?

万美

古典というものがあって。たとえば書道の長い歴史の中で生まれたたくさんの作品があります。それを臨書といって、とにかく繰り返し真似て書く。古典をどれだけ自分の中に取り入れられるかなんです。そうやって筋力みたいなものをつけていくんです。すると、徐々に自分らしさが生まれてくる。だから私もひたすら書きまくってましたね。もちろんまだまだ足りてない部分もあるので、これからも書き続けないといけないんですけど。

どんな人でもパッと見てわかるものを書きたい。

依頼されて書くものと、自分で自発的に書く作品では、生まれるものにどのような違いがありますか?

万美

結構変わりますね。クライアントワークはやはり求められて書くものなので、できる限り要望に応えながら自分らしさを出すんですけど、自分の作品は友達と遊んだときの楽しい思い出とか、過去に抱いた感情などをインスピレーションにして書くので、そこに違いが生まれます。

クライアントワークの場合、相手がOKと言ってくれればそこで自分の仕事は終わりなんですけど、自分の作品の場合は思い出を形にするからやっぱり妥協できない。もちろんクライアントワークもそうなんですけど、自分が出せるOKの基準が圧倒的に厳しくなってしまう。だから自分の作品をつくっているほうが辛いし、しんどいですね。

書道の場合、書き直しができないじゃないですか。だから納得いくまで何枚も書くということですよね。

万美

そうですね。ひとつの作品をつくるのに、平気で500枚とか書きますから。それでヘトヘトになっちゃうこともあって。

作品をつくるにあたって、テーマなどはあるんですか?

万美

最近意識しているのは「共通言語」ですね。前に一度、アフリカへボランティアへ行ったんですけど、そこで自分の名前を書けない人たちに出会って。言葉は話せるけど読み書きができない。つまり識字能力がないんですよね。

そのときに、そうした人たちでも楽しんでもらえる作品ってどんなものだろう? って思うようになって。日本以外の国で書いているときも、「これって何て書いているの?」って聞かれることも多くて、どんな人でもパッと見てわかるものを書きたいという気持ちが次第に強まってきて。それで数字やクエスチョンマークであったり、世界でも通じる文字や言葉を書くようになったんです。

たとえば絵文字も私は共通言語だと思うんです。インスタとかで外国の方々がコメントをくれるんですけど、目がハートマークになった絵文字が送られてくると、私の作品を気に入ってくれているんだなと分かる。だから絵文字のような印をつくって、それを作品に捺したりしているんです。

万美

あとはここに展示している「ゐゑゐ」という文字も、読むと「いえい」ですよね。これは音楽のフェスで「イエーイ!」って盛り上がっていたときの感情を形にしたもので、響きを伝えればどんな人でもこの作品の意味がわかると思ったんですよ。

万美さんのお話を聞いていると、すごくポジティブな人だなと感じます。辛いことがあってもそれをバネにするパワーがあるし、ご自身の目指すべき方向にブレも感じないですし。

万美

自分が幸せじゃないと人に優しくできないですし、とにかく自分を大事にしているだけなんです。私は人と一緒にいるときに幸せを感じるので、そういうときに嫌な自分を出さないためにも、まずは自分をしっかり肯定して、幸せであることが大事なのかなと思っています。

作品を書いていてイライラすることとかないですか?

万美

もちろんありますよ。思うように書けなくて悔しい思いをしたことも何度もありますし。だけどそれって自分の実力が足りないだけで、もっとがんばればいいだけの話。がんばった先に達成感や幸せが待っていると思えば、乗り越えられますね。

目の前にあることを全力で楽しむことが大事。そしていつか人間国宝に。

これからどんな作品をつくりたいとか、どんな仕事をしたいという目標はありますか?

万美

日本だけじゃなくて世界とも戦いたいと思っているので、漢字も書きつつ、共通言語をテーマとした作品はこれからも書き続けたいと思っています。あとは、書道家として人間国宝になりたいという夢もあります。

はじめて出会いました、人間国宝になりたいという人。

万美

書道家で人間国宝になった人ってまだいないんですよ。だから書道家初の人間国宝になりたくて。

どうやったら人間国宝になれるか、その方法などはあるんですか?

万美

友達が調べてくれたりして、「これを成し遂げたらなれる」って教えてくれるんですけど、まだまだ人間国宝になれる年齢じゃないんですよね。だけど、これからも活動を続けて、私が60歳、70歳になったときに声をかけてもらえたらいいなと思っています。だからいまは「人間国宝になりたい」と言い続けているんです。

その適齢期になったときに、私を人間国宝として指名してくれる人がいるとしたら、きっと同年代だと思うんです。だから、いまは人間国宝になるための活動をするというよりも、まずは目の前にあることを全力で楽しむことがいちばん大事なんじゃないかと思っています。

人間国宝になろうと思ってそこに向かうのではなく、やりたいことをやって自分にしかできない表現を追求したり、唯一無二の存在になることのほうが重要であると。

万美

自分を信じてやり続けたほうが、人間国宝になれなかったときのショックも少ないと思うんです(笑)。やりたいことをやってきたし、まぁいっかって。だからきちんと自分の表現に自信を持って、ブレずに目の前のことを一生懸命やろうと思っています。

書道家

万美

9歳で筆を持ち、高校時代より書家を志す。古典に立脚した書道と、様々なカルチャーとの共通点を見出し数多くのコラボレーションを実現。独自のスタイルである "MAMIMOZI" を信念に 日本各地、世界各国を巡る。

Website : https://www.66mami66.com
Instagram : @mamimozi(https://www.instagram.com/mamimozi/

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次の東京を創造していく表現者にスポットを当てたインタビューコンテンツ。