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片岡義男『ドーナツを聴く』

第十八回:実在しないあなた

2022.06.08

Text & Photo:Yoshio Kataoka

ビームスが発行する文芸カルチャー誌 IN THE CITY で好評だった連載が復活。片岡義男が買って、撮って、考えた「ドーナツ盤(=7インチ・シングル)」との付き合いかた

一九六四年八月十一日、日本国政府は、南ヴェトナムへ緊急に援助することを決定した、というかたちで、アメリカのヴェトナム政策を支援した。八月二十八日には、アメリカの原子力潜水艦の日本への寄港を受諾します、とアメリカに通告した。そして十一月十二日、アメリカの原潜シー・ドラゴン号が佐世保に入港した。このことに反対するデモ隊が、警官隊と衝突したそうだ。

この時代のシングル盤レコードを十枚、集めてみた。歌は世に連れ、世は歌に連れ、というよく知られた言葉が日本語にあるが、少なくともここにある十枚のシングル盤は、世にまったく連れていないから、その歌に連れられたのは、どんな世だったのか。この言葉は、単なる語呂なのか。しかし、『ウナセラ・ディ東京』や『大阪ぐらし』をふと聞くと、どこへもやり場のないような寂寥感は抱くから、これは歌に連れた世の一例なのか、と思っている。

米原潜と書いてベイゲンセンと読む。米とは米国の略で、アメリカの、という意味だ。原潜は原子力潜水艦を、漢字ふたつに省略したものだ。米原潜のもっとも新しい読みかたは、マイバラモグルだという。

多摩幸子の『あなたと呼びたい』と、吉永小百合の『いつかあなたに』は、よく似ている。ふたつの題名を見た段階で、どちらの「あなた」も、仮想された男性なのだろう、と僕は思った。この思いを確かめるために、僕は『あなたと呼びたい』を聴いてみた。

「誰にも言えず、こころのすみに、しっかり抱いた、面影ひとつ」と多摩幸子は歌っている。「あなた」は、ひとつの面影なのだ。「ああ、あなた」と彼女はさらに歌う。「あなたと呼びたい」というのは、この歌の主人公に想定されているひとりの女性の、願望にとどまっている。「あかりを消して、涙にむせぶ、おとめの胸に、消えぬひと」というのが、この歌の最後だ。自分のことを「おとめ」と呼んでいる。その人の面影は、おとめの胸から消えないという。あかりを消して涙にむせぶほかないのだ。

吉永小百合の『いつかあなたに』には歌詞が三番まである。その三番に、次のような部分がある。「今は知らないあなたでも、あったら一目でわかってしまう」どのような意味なのか、ややわかりにくい。私がこれほどに思っているのをあなたは知らないけれど、会えばただちにわかるはずだ、というような意味だろうか。あなた、という男性は、まだ実在していない。「晴れつつあえるはいつの日か」と歌っている部分がある。ふたりがまだ会っていないことは、この部分が言っている。僕の思いは正しかった。「あなた」はふたりとも、仮想された状態から、残念ながら、抜け出ていない。

仮想された理想の男性を、主人公の女性がひとりで、あなた、と呼んでいる。これも、世に連れた歌の、一例だろうか。


次回は7月13日、毎月第2水曜日更新です。お楽しみに!

片岡義男

かたおか・よしお。作家、写真家。1960年代より活躍。『スローなブギにしてくれ』『ぼくはプレスリーが大好き』『ロンサム・カウボーイ』『日本語の外へ』など著作多数。近著に短編小説集『これでいくほかないのよ』(亜紀書房)がある。

https://kataokayoshio.com

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TOKYO CULTUART by BEAMSが2017年まで展開していた文芸カルチャー誌『IN THE CITY』。短篇小説やエッセイ、詩など、「文字による芸術」と、それに呼応した写真やイラストレーションなどを掲載したもので、これはそのWEB版になります。