TOKYO LOCALS
板橋区 / ITABASHI
NO.13119 vol.6
© 2020 BE AT TOKYO.
TOKYO LOCALS
渋谷区 / SHIBUYA
2022.01.01
渋谷区富ヶ谷には一丁目と二丁目がある。
「富ヶ谷一丁目は、本当に暮らしやすいみたいですよ。一度ここに住むと離れられなくなるみたいで、次の物件も一丁目のなかで探す人も多いんです」
いま住んでいる部屋の内見に来たときに、不動産屋さんから言われた言葉だ。あれから6年近く経つが、たしかに、この街は暮らしやすい。
渋谷区富ヶ谷とその周辺は、いわゆる高級住宅街だ。だが、よくよく賃貸情報を調べると、私のように収入の少ないフリーランスのライターでも借りられる部屋はある。ただし、何かを我慢しなくてはならない。たとえば、私の部屋はすごく狭い。バス、トイレ、玄関、居間すべてあわせても、たったの14平米。アパホテルの一人用客室で暮らしているようなものだ。
どうしてこんな狭小住宅で手を打ってまで、このエリアに引っ越してきたかったのか。それは、子どもの頃に代々木上原に住んでいたことがあって、その時の暮らしが懐かしくなったからだった。
3歳で代々木上原から世田谷区上祖師谷に引っ越し、13歳からは川崎市宮前区で暮らし、26歳のときに世田谷区三軒茶屋で一人暮らしを始めた。転機となったのは2016年。当時の私は、仕事も、人間関係も、何もかもに行き詰まっていた。細かいことは省略するが、とにかく生活を変えたくて、三軒茶屋から離れようと思った。
さて、どの街へ移るか。その時に思い出したのが、3歳まで住んでいた代々木上原のマンションだった。小さな頃のことなので、当時のことはほとんど記憶にない。ただ、なんだか幸せに暮らした印象だけは残っていた。その思い出だけを頼りに、「代々木上原」「ガスコンロ2口」「駅近」でGoogleで検索して、最初に出てきたのが、いま住んでいる部屋だった。
土地には、目には見えない、空気や、温度感のようなものがあると思う。その土地に立っているときに無意識に肌で感じる、なにか。それによって「居心地がいい」とか「落ち着かない」とか、土地に対する印象が生まれてくる。今の場所に引っ越してきたとき、私は、なんとも言いえない安心感を感じた。それは、昔住んでいたからという思い入れだけではない。土地の空気感が、肌に馴染む気がしたのだ。これまで住んだ川崎や三軒茶屋では感じなかった、心が落ち着くなにかが、今住んでいる土地にはあった。
三軒茶屋から富ヶ谷に引っ越して、当初の狙い通り生活が変わったかどうかは、なんとも言えない。ただ、少なくとも、三軒茶屋にいたときの自分より、今の自分の方が好きだ。最近では、近所付き合いもするようになった。
この「TOKYO LOCALS」が始まったのは、ちょうど、住んでいる地域への愛着を感じ始めてきたタイミングだった。東京23区に住む人が自分の区の情報を発信していくコンテンツ「TOKYO LOCALS」で、渋谷区の住人として参加させてもらうと決まったとき、日々の営みを書きながら、近所のお店に関する情報も織り交ぜられたらいいなと思った。そのお店が地域にどう溶け込んでいて、そして、自分にとってはどんな存在なのか。それを書きたかった。なぜなら、普段、仕事として雑誌やウェブで記事を書くときにはなかなかできないことだからだ。仕事では、基本的に記事を書くためにお店に行き、お店の人から話を聞いて書く。「TOKYO LOCALS」では、そういう一期一会的な文章ではなくて、継続的な何かを書き表したかった。点ではなく線。日常。日々の営み。
そこで、いつかここで書こうと思っていたのが、西原の「àcôté(アコテ)」だ。一体、ここは何のお店なのか。それを一言で説明するのはとても難しい。たとえば、私はここで、靴下、傘、亀の子スポンジ、パン切りナイフ、塩、はちみつ、ワイン、植木鉢、入浴剤、ポストカード、ユニコーンの人形、色鉛筆などを買った。日常生活に必要なものは、たいてい、アコテで揃う。
まとまりがない品揃えのようで、実際に入店して商品を眺めると、「アコテらしさ」のような統一感を保っている。それが、このお店の不思議な魅力だ。きっと、マキさんのなかで「これはアコテで売るべき商品かどうか」といったなんらかの基準が明確に定まっていて、それにハマれば、トースターでも消しゴムでも、卓球セットでも、なんでもOKなのだろう。
店名の「àcôté」は、「隣」や「近くに」という意味のフランス語だそう。たしかに、気付いたら私の家のなかには、アコテで入手したものが点在するようになっていた。身の回りにあるべき、あらゆるものが揃うお店。「だからアコテなんだ!」と、急に腑に落ちるこの感覚、きっと、アコテに通い続けないとわからないと思う。
ところで、アコテは、パン屋(カタネベーカリー)とおにぎり屋(一食)の間にある。ときどき、「アコテ」の軒先のベンチを借りて、マキさんにアブラを売りながら、パンやおにぎりを食べることもある。
そうこうしていると、パンづくりを終えたカタネのムッシュ(店主の片根さん)がやってきて、日によってワインの試飲会を始めたりする。
「一食」は、アコテから幡ヶ谷駅に向かって30mくらい歩いた場所にあるおにぎり屋さんだ。仕事でくたびれていたり、何も考えないでぼーっとしたいというときには、無性に「一食」のおにぎりを食べたくなる。
「一食」のおにぎりは、ごくごく普通のおにぎりだ。やわらすぎず、かたすぎず、絶妙な加減で炊いたお米を、ふっくらと握っている。初めて食べたときには、あまりにも普通でびっくりした。でも、何回も食べるうちに、これが究極の「普段使いのおにぎり」なのだと思うようになった。豪華な食材を使っているとか、まずいとか、そういう特徴がないおかげで、なにも気にせずに、ただぼんやりと食べられる素朴なおにぎり。
それから、唐揚げも、味が濃すぎず、おにぎりのお米の味と絶妙にマッチする味付けになっている。多分、この唐揚げは、味がやさしいので酒のつまみには向かないだろう。だけど、梅干しおにぎりや、わかめおにぎりとの相性は最高。おにぎりの相棒になるために味を調整した、おにぎり屋さんの唐揚げなのだ。
毎日でも食べたくなる飽きのこない味って、きっと、つくるのがすごく大変だと思う。どんなにおいしくても、塩気が強かったり、何かが主張しすぎていたりすると「たまに食べるとおいしいよね」と、なってしまう。逆に、おいしいポイントが何もないと「別に、わざわざ買いに行かなくてもいいよね」となる。毎日食べたくなる普通のおにぎりって、こういう味なんじゃないかな、ということを、「一食」は提示しているんじゃないか。
店主の清澤さんに話を聞いてみると、実は浅漬けの塩ひとつとっても、何種類も比較して慎重に選んでいたり、唐揚げの味付けも考えに考えぬいて決めていたりすることがわかった。ただ、そう言ったことを話すときの清澤さんは、とても控えめで、言葉も少ない。語りすぎないところが、おにぎりと同じなのだ。すごく自然体だけれど、その裏には独自の哲学がある。SNSでなんでも発信、発信、のこの時代に、謙虚な方だなと思う。
近所の人たちとのかかわりのおかげで、私は、精神衛生上の健康を保っていると言っても過言ではない。大袈裟に聞こえるかもしれないけど、家にこもって一人で過ごし続けている私にとって、欠かすことのできない、日常の大切な一部なのだ。いつかきっと、今よりもっと広い部屋や、窓からの眺めがいい部屋に移りたくなる日がくるだろう。そのときは、今住んでいるエリアで物件を探したい。
■今回登場したお店
・àcôté
渋谷区西原1-7-5
・一食
渋谷区西原1-7-8 ツインパレスKI
■代々木八幡駅ガード下壁画プロジェクトについて
https://tomigaya-choukai.jp/2019/07/06/6-25
書き手
吉田彩乃
1986年、東京都生まれ。渋谷区在住、14平米の狭小住宅で一人暮らし。週刊誌記者を経て、フリーランスのライターに。インタビューや食に関する記事の執筆をメインに、時々、編集の仕事もしている。
Instagram : @ayanoyoshida24
https://www.ayanoyoshida.com/
東京23区に住む人が、自分の区の情報を紹介していくブログコンテンツ。