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世田谷区 / SETAGAYA

世田谷の上で vol.8 - 語り継ぐ街 -

2022.03.12

Text:髙阪正洋(CORNELL)

語り継ぐ街

自分にはできないと思っていた。

この連載を最初に持ちかけられたときだ。もとより執筆をなりわいにするライターではあるものの、基本は取材や商品資料などが執筆のベースにあるわけで、そこは“職業ライターあるある”、自分のなかから湧き立つテーマなんてない。いわんや、世間に向けてのたまいたい意見や、笑いあり涙ありのエピソードなんて、ないったらないのであります。

思えば2021年は読書づいていた1年で、大学時代ぶりに本をよく読んだ。ただ小説ばかり読んでいたあの頃と違って、哲学、人類学、倫理といったいわゆる“思想”のカテゴリーに類される本を読むことが、とんと多くなりました。べつにそこに優劣があるというのではない。趣味が変わったのか、きっと、たんに気分の問題。そこにときどきエッセイもまじるのですが、とりわけ去年は、燃え殻や爪切男の、くだらなくも愛すべき人生が詰まった著書が多かった。基本的には彼らの過去の恋愛や仕事、家族、そうした人生のゴタゴタがテーマだが、そんなエッセイを読んでいると、よくもまあ小学生の頃のことをこんなにも仔細かつ克明に(もちろんそこには多少の脚色なり創作なりがないまぜにされているとはいえ)覚えているものだと、驚嘆するばかり。彼らと比べるのも失礼なハナシですが、そんなときにふと思うのは、自分の身の回りの出来事を記憶するのがめっぽう苦手であることが、自分自身の文章を書けない根本的な理由なのではないかということ。

それでも引き受けると決めた以上はやるしかないと絞り出したのが、これまでの7篇だったわけであります。読んでいただくとわかるように、だれが読んで得をするでもないし、笑ったり泣いたりのスペクタクルでもない(泣けてくる。いや、笑うしかない)。だいたいは〆切に追われるカタチで、テーマらしきものを無理くりひねり出し、なんとか読める体裁に持っていったわけで、その点はいつもやっている仕事とあまり変わらなかったかも。絶えずやってくる夏休みの宿題をこなしている感じ。

そんなこんなではあるものの、最終回までなんとかたどり着いたわけで、「できたじゃん」ってことなんですが、連載開始当初といまを比べてみても、とりわけ、街の新しい一面を知ったわけでも、行きつけの店が増えたわけでもなく、今日もFUGLEN HANEGI KOENにはじまり、萬来軒でCセットを食べて、きっと作った夕食をうつわのわ田で買った食器に盛って食べる。コロナどうこうなんてまったく関係なく、この街での暮らしは、にわかには変わらない。そんなことを痛いほど実感することになった4ヶ月だったわけです。

そもそも連載をはじめるにあたっては、ショップ紹介や名所案内なんて紋切り型の内容はもってのほか、同時期に連載を担当するだれとも被らない独自の切り口を、なんていっちょまえに考えていた。街で聞こえてくる会話をベースに、とか、定点観測的な内容にするか、とか、世田谷を舞台にしたフィクションを創作するか、とか、いろいろと考えあぐねた結果、まとまりのない“雑記”に落ち着いてしまった始末。とはいえ自分に課した課題といちおうのテーマもあって、それは言うまでもなく(いえ、完全な力不足。言わないとだれもわからなかったと思うので、恥を忍んで言いますと)、『カメ止め』や『マリグナント』が近年代表するジャンル・ブレンドを、この場を借りてやってみたかったわけです。正直そんな裏テーマなんて、読者にとって、散歩する速度でゆく世田谷線くらい、あってもなくてもいいハナシでしょうけど。

近所の羽根木公園。このところ、毎朝霜柱がたっている。

と、ここでようやく最終回のテーマも完遂。「東京の街の魅力を発信する」という目的はあるものの、世田谷の上にさまざまなひとが行き交い、住み継ぐように、さまざまな書き手がやってきては消え、語り継いでいくことがきっとこの連載の本質。街が多様な人間で構成されるように、この連載にも、どうかとりとめのない雑多な言葉が溢れますように。これからも世田谷の上で、楽しみに待つことにします。

書き手

髙阪正洋(CORNELL)

ライター。衣食住にまつわるもの、こと、ひとを、取材・執筆します。

Instagram:@cornell_works

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