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Jun Hirayama

NEUT Magazine 編集長・平山潤ができるまで。

2022.12.23

Photo:Hiroyuki Takenouchi / Text:Keisuke Kimura

ウェブメディアはまさに群雄割拠。その数は計り知れないし、当分は右肩上がりに増え続けていくことが予想される。そのなかで、若い世代から圧倒的に支持されているウェブメディアがある。『NEUT Magazine』だ。社会の問題を軽やかに、かつクールに表現し、Z世代の心を掴んで離さない。そんなメディアの編集長を務める平山潤は、いかにしてこれまでを過ごし、『NEUT Magazine』に通づるオープンでフラットな価値観を形成していったのか。そして『NEUT Magazine』は、これからどこへ向かうのか。

多様性を感じながら育った幼少期。

平山さんはまだお若いんですよね?

平山

今年30歳になりました。また一歩、おじさんになった感じです(笑)。

30歳で編集長であり社長ですからね。お生まれはどちらで?

平山

神奈川の相模原です。昔、おじいちゃんが栃木の黒瀬から引っ越してきて、相模原で自分の会社を起こしたんです。その会社をいまは親父が継いでます。

平山さんが会社を継ぐ話もあったり?

平山

7個上の兄、9個上に姉がいて、ぼくは次男なんですが、まだどうなるかわからないですね(笑)。

育ちも相模原で?

平山

小学校は女子大附属の共学のところに通ってたんです。そこが、地元からはちょっと距離があるところで。

ということは、小学校のときは周りに女子が多かったんですか?

平山

1クラス36人で、男子が1クラス8人くらいでした。なので、人数的に男性がマイノリティという環境で6歳から12歳まで育ってるんです。当時、レズビアンっていう言葉はなんて知らなかったんですがけど、女の子で同性の子を好きなのかな?って思う友達もいました。その環境は、いまに繋がるぼくの視点に影響があったと思います。

小さい頃から多様性を感じられる環境にいたんですね。

平山

多様性を言葉よりも先に体験してたし、多数決では負けてしまうので“女性がどう思うか”は、普通の学校よりも考えなきゃいけない教育環境でしたね。小学校の体験はコアとなる自分を形成する一部になってると思います。

逆に男子同士も仲良さそうですね。

平山

結束してましたね(笑)。あとなぜかベーゴマが流行ってて、男子はベーゴマで遊んでました(笑)。

中学は、どんな学校だったんでしょうか?

平山

桜美林というプロテスタントの中高一貫の学校でした。母親がそこのOGで、従兄弟も通っていたりしたので、そういう流れで。ちなみに、家はクリスチャンではないです。

とはいえ、キリスト教にまつわる授業もあるんですよね?

平山

週1で校内にある教会で、礼拝の時間がありました。毎回説教のためにゲストスピーカーさんが来るんですけど、辺野古の基地反対のおじいちゃんの話は覚えてますね。ゲストはいわゆるリベラルな方が多いのですが、そういう人たちの話を、中学から高校卒業までの6年間、毎週1回聞いて、感想文を書いてました。

大変だけど、おもしろそうですね。

平山

授業の一環で沖縄の基地問題とか、 人権の問題とか、戦争の問題の話を聞いていたことがいまに生きている気がします。

その頃から、編集者を志していたんですか?

平山

全然です。ぼく、高校生の時まで、パティシエになろうと思ってたんです(笑)。

パティシエの夢から編集者の道へ。

それは意外ですね。また、どうして?

平山

父親が、元々フランス料理の料理人だったんです。結局、家業を継ぐことになって辞めてしまったんですけど、趣味として続けたいからといって実家のキッチンは全部業務用でした。ガスコンロは7口だし、大きいガスオーブンもあって。そんな環境だから、ぼくもそのキッチンを使ってお菓子作りをよくしていて、バレンタインデーのお返しとかは手作りのマカロンをあげたりしてたんです。

マカロンですか!レベルが高いですね。

平山

とにかく料理がずっと側にあったし、兄は美容師で、姉は看護師。だから僕も手に職をつけたくて、パティシエを目指していました。

その夢は諦めたんですか?

平山

高2の時の担任からは「平山は大学行っても楽しめるんじゃないか」、親からは「製菓の専門学校に行きたいんだったら大学の後でもいいんじゃない?」と言われたので、だったら、自分がパティシエになって店をやりたいとなったときや、親の会社を継ぐとなったときに経営を学んでおくのがいいのかなと思って、大学の経営学部に進みました。実は今でも飲食の業界への道は諦めてないんでけどね(笑)。

たしか、大学在学中にカリフォルニアに1年間留学されていたんですよね?

平山

はい、英語とコミュニケーションデザインを勉強しました。で、ちょうど留学から帰ってきたときが就活の時期だったんですけど、日本の就活って、会社側が人材を選ぶじゃないですか。それってアンフェアに感じたし、自分には合ってないなと、アメリカの友達がインターンをまずしたり、実家に一旦戻ったりして自分のペースで仕事を探している姿を見て思ったんです。双方が一緒に働きたいってなるほうが健全だから、まずはインターンを探して、アイルランド人の方が代表の映像制作のプロダクションで働き始めたんです。

英語も活かせそうな仕事だったと。

平山

そうですね。しかも手に職をつけたいから、小さい会社でガンガン仕事をやりたかった。そこに入ったのが21歳(2013年)のときだったんですけど、代表はその頃から「サスティナビリティが大事」と言っていて、当時はSGDsという言葉なんてもちろんなかったのでとても勉強になりました。でも、その時くらいからプロダクションではなく、メディアで働くのほうが、発信する内容や働く相手が自分で選べていいかも、と思い、違うインターンを探し始めました。

ここから、平山さんの編集者としての道がスタートするわけですね。

平山

その会社のインターンを辞めてウェブメディア『Be inspired!』にインターンとして入りました。

それは、どういう繋がりで?

平山

『HEAPS Magazine』を知人に紹介してもらったんですけど、編集部がニューヨークにしかなくて。そのとき、たまたま同じ親会社の下で『HEAPS Magazine』の姉妹媒体として『Be inspired!』が立ち上がるってことで、立ち上げの2015年の1月から働き始めました。しかも、そこから2カ月しか経ってないのに、社長から『Be inspired!』の副編集長として働かないかと誘われて。

超スピード出世ですね。

平山

正直“この会社大丈夫かな”と思いましたよ(笑)。まだ編集のことを何も知らないペーペーを、いきなり副編集長にするんですからね。とはいえ、編集長とぼくの2人しか編集部にはいなかったんですけど。

会社側も英断ですね。

平山

しかも、同じタイミングで編集長から「ストックホルムに1年間留学する」と告げられて。

実質、編集長に?(笑)

平山

そうです。ヤバいですよね(笑)? 立ち上がったばかりでコンセプトも固まってないし、頼れるライターもいないし、採用も担当しなきゃだし、上司からは記事数やPV数を課せられるしで、そのときはさすがに闇に落ちました。だって22歳で、新卒で、いきなりひとつのウェブメディアを運営するって無理じゃないですか。

平山

で、それを1年くらい続けて、大変だし辞めたいかもと思ってたとき、ちょうど『Be inspired!』のトークショーをやる機会があったんですけど、意外にもお客さんが来てくれて。読者さんと話す中で“もっと真摯にやんないといけない”とマインドセットが変わったんです。“誰も教えてくれない”と嘆いてたけど、“自分ができないからダメなんだ”ってスイッチが入って、 すごく楽になったんですよね。そこから自分で勉強して、キャパも広がって、徐々に余裕もできていって。

なるほど。

平山

そのうち、自分のやりたい形が見えてきて、もっと僕や編集部が自分達のメディアにプライドを持って運営できるように、名前を変え、コンセプトもしっかり打ち出し、2018年10月に『NEUT Magazine』を立ち上げました。

誰も排除しない。

『NEUT Magazine』は、とても多くの人で運営されていると思うんですけど、何人いらっしゃるんですか?

平山

インターンも含めると6人です。

もっと、たくさんの人が関わっていると思っていました。

平山

集団っぽいってよく言われるんですが実は少ないです(笑)。ウェブでやっているのに、集団が見えてるのは面白いですよね。

ウェブメディアでありながら、コミュニティ感も強く感じます。

平山

『NEUT』の外の人たちも“『NEUT』の中の人たち”に見えてるのは、多分、出演者も作り手も読者も同じ方向を見ていて、同じ価値観を持っていて、それがコミュニティに感じる理由だと思うんです。

最初から、そういうメディアを目指していたんですか?

平山

メディアは情報の拡散性とか、 どれだけパワー(発信力や影響力)を持つかが大事だと思っているんです。で、ぼくはあまり言わないんですけど、コミュニティメディアと言われるときがあるんです。 たしかに、コミュニティを持っているメディア。でも、そのコミュニティだけしか幸せにできなかったら、社会は変えられないじゃないですか。法律も変えられない。

いまよりも、コミュニティやユーザーを拡大しなければいけないと。

平山

一方で、一気に読者を増やすことって簡単で、マスに寄ればいいだけ。でも、それはやりたくないし、やってしまうといままで大事にしてきた“ちゃんと接続している読者”は離れていってしまう。結果として、パワーは弱くなると思うんですよ。

たくさんのフォロワーがいるインフルエンサーが「選挙に行こう」と言っても、票が動かないのと同じですよね。

平山

そうですね。インフルエンサー個人の力に頼るのではなく、個人が連帯して発信できる僕らみたいなメディアの力も合わさって社会をいい方向に変えていきたいですよね。いま、ぼくらの周りにいる人たちもフォロワーが増えてきて、拡がりはじめているんです。なので最近はコミュニティの外側にも、少しずつ届くようになってきた感じはします。

『NEUT Magazine』って記事の本数がほかの媒体と比べて少ないと思います。それは狙ってのことですか?

平山

正直、最初は予算がないから数が作れなかったんです(笑)。となると取材も出張などできないので都内でしかできないし、人とのネットワークもなかったので自分の知り合いしか取り上げられない。それが続いたことで、必然的に同じ世代が多くなって、それがスタイルになっていって、いまに至ります。結果“ミレニアル・Z世代の読んでいるウェブメディア”という認識になって、いまはそれがタイアップなどのお仕事にも繋がってますね。

それでいうと、『NEUT Magazine』のターゲットとしている人物像って若者なんでしょうか?

平山

普通、雑誌って男性誌、女性誌と分けて、そこから年齢を絞ってターゲットを決めていくと思うんですけど、ぼくらはまず、性別や年齢、国籍は関係ない。かつ、オープンで、社会問題に興味があって、多様性をちゃんと受け入れるような人がターゲットなのかなと思います。いまでこそ、そうした価値観を持ったミレニアル・Z世代に向けたものと認識されていますけど、最初は規模が小さいメディアの割にはターゲッティングされてないので、クライアントには見向きもされなかったですね(笑)。

ウェブではなく、定期的に紙の刊行物も出版されていますよね。

平山

右の「イエローライト」は、ちょうど11月に発売されたものです。インタビュー記事がずらりと並んでますし、1記事1記事が内容もしっかりしているので、1日では読むのは大変だと思います。なのでゆっくり読んでいただけたらと思います。中央のオレンジの雑誌は販売はしていないんですけど、ちょうど『NEUT Magazine』の1周年記念の特集で制作したアーカイブイシューです。

そもそも紙とウェブの優劣みたいな議論ってずっとありますよね? で、あるときある編集者の方に「『NEUT』は紙の雑誌っぽい」と言われたんです。きっと雑誌って温かみがあるとか、触感やにおいでも楽しめるし、自由度が高いから、その人はそれを感じてくれたのかなと。一方で、ウェブの記事は、ある種スマホの重さだけで何千何万記事も持ち歩けるアーカイブ性に長けていて、電波があればどこでも読める。なので、その両方を肯定できるようなものを作りたくて、この雑誌を。これまで作った記事を全部まとめて400ページに及ぶんですけど、すべて写真とQRコードで構成されているんです。雑誌のQRを読み取って、ウェブで記事を読むという。「読み込まないと読めない」という合言葉でしたね。

そうした挑戦的な姿勢が平山さんであり『NEUT Magazine』のひとつの特徴でもある気がします。それと、『NEUT Magazine』の記事の内容は、そのほとんどが社会問題にまつわるインタビュー記事です。今後、別の記事を増やしたりする予定は?

平山

わかりやすく言うと、ぼくらは「ドン・キホーテ」ではなく「セレクトショップ」。なんでもあるというより、めちゃくちゃ厳選したアイテムしか置いていないんです。だから、別の記事を増やすことはないだろうし、インタビューの本数もいまくらいのペースだと思います。1ヶ月でミニマム4人のインタビュー記事しかアップされないですけど、逆にそれがおもしろいかなと。1日1記事で月に30人もロングインタビューの記事を読むのも大変ですしね。そんな規模感のメディアでも大きなタイアップの案件もいただいていて、メディア業界を俯瞰して見た時にとても希望があることだと思います。

たしかに、他のメディアは記事を無数にアップして、PVを稼いで、広告を勝ち取る構図が多いですよね。

平山

そうなんです。一方でぼくらはオリジナル記事をミニマム週1本しか発信していないのに、誰もが知っているような大手企業から仕事をもらえたりする。これは、ぼくがやりたかったことのひとつで。なので、今年は資本主義の中で『NEUT Magazine』を事業として成立させることができたので、ここからまた、どう舵をとるかっていうのは慎重にやっていかなきゃと思っています。いまのブランドやポジションや読者との関係を保ちながら、かつ成長させていくというのが来年の課題ですね。

他にも、来年の展望はあったりしますか?

平山

まずは事務所の引っ越しですね。引っ越し先は、もうちょっと人が集まれるようにしたいと思っています。あと、日本以外の国に『NEUT』で取り上げているような社会問題や日本のことを発信したいですね。最近では香港や台湾のメディアからの取材を受けたり、最新号の「Yellow Light」は日英バイリンガルなので英語を読める人に興味を持ってもらえたら嬉しいですね。来年は目指せポップアップ in New Yorkです!(笑)

今日、平山さんの話を聞いていて、誰の意見も否定しない姿勢を感じたんですが、その部分はご自身でどう感じていますか?

平山

『NEUT』という名前もNEUTRALから来ていて「先入観のない」とか、「排除しない」といった視点を持とうということなんです。なので、そこは普段から意識していますけど、とはいえ、差別や戦争など否定すべきことはたくさんあって、そういうときはむしろ率先して声を上げて否定するのが『NEUT』だと思います。だから、否定もしますね(笑)。

NEUT Magazine Editor in Chief

平山潤

1992年、神奈川県相模原市生まれ。成蹊大学経済学部を経て、新卒で「HEAPS.株式会社」に入社。入社後すぐに、同社が運営するウェブメディア『Be inspired!』の副編集長となり、1年後には編集長に。2018年10月より『NEUT Magazine』創刊編集長を務め、現在はNEUT MEDIA株式会社の代表も務める。
Instagram:@jun__hirayama / @neutmagazine

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