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「HARAJUKU HOPPIN'」をラフォーレ原宿にて開催しました。
クリエイター集団 STUDIO BUNNYライブイベントプロデュース
© 2020 BE AT TOKYO.
BEAT CAST
KIMIGAHAMA AYUMU
2024.04.20
日本の国技、大相撲。体重差なんて関係ない単純明快の力勝負。過酷すぎるその世界で18年もの間活躍した力士が、隠岐の海こと福岡歩だ。2023年の1月に現役生活に終止符を打ち、いまは君ヶ濱親方の名で、後進の指導にあたっている。そんな彼のこれまでの道のりと、現在の心境を探っていくインタビュー。親方、非常にユーモラスです。
ー
君ヶ濱親方(以下、親方)、想像以上に大きいですね。身長と体重から教えていただけますか?
親方
いまは188センチで、150キロぐらいですかね。
ー
マックスの体重は?
親方
167キロです。
ー
生まれたときから、大きかったんでしょうか?
親方
普通だったと思いますけどね。小学校6年生で170センチぐらいはあったかな。
ー
いやいや、十分大きいですよ!
親方
そこから中2で185センチになって、高校に入って3センチ伸びましたね。
ー
出身の隠岐の島は古典相撲(島内で祝い事があったときに開催され、夜通し取り組みが行われるのが特徴)があるので、お相撲が身近にあると伺いました。
親方
そうなんです、地域ごとに土俵があるのでね。子供もやるんですけど、大人もやるんです。相撲をとったあとは、ご飯を食べたり、飲んだりして。その時間が楽しいんですよ。
ー
初土俵は何歳のときだったんですか?
親方
4歳のときでしたけど、ちゃんとやったのは小学校4年生からですね。
ー
隠岐の島にいる男の子は、だいたい相撲をやると。
親方
そんなことはないですね。でも相撲をやっているとバスケ部よりモテたんですよ。そのくらい人気でした。いまはどうかわからないですけど。
ー
幼少期はどんなお子さんだったんですか?
親方
微妙だったと思いますね。
ー
(笑)。どういうことですか?
親方
普通じゃないといいますか。しょっちゅう海に行って、潜って、サザエとか鮑をとって。小中高は、ずっと潜って食べてましたね。勉強はほとんどしてませんでした。
ー
ご兄弟はいらっしゃいます?
親方
3人兄弟の末っ子です。
ー
ご両親やお兄さんたちも大きいですか?
親方
真ん中の兄貴は190センチぐらいあって、1番上は180センチぐらいかな。親父は普通ですね。
ー
いつまで隠岐の島にいらっしゃったんでしょうか?
親方
水産高校だったんですけど、卒業後に2年間の専攻科に進みまして、その1年目までいました。そこから東京に来て、大相撲の世界に。
ー
なぜ、その学校に進学されたんでしょう?
親方
船乗りになりたかったんです。航海士ですね。タンカーとかそういうものにも乗りたかったし、いろんなところへ行きたかった。海に囲まれたとこで育ったんで、そういう影響もあったと思うんですけど。
ー
そこからなぜ急に、お相撲さんの道へ?
親方
在学中に、3ヶ月かけてハワイへ行く航海があったんです。 それが終わって帰ってきたタイミングで、いまの師匠(八角親方 61代横綱北勝海)とスカウトの方とご飯を食べる機会があって。実際は、後輩のスカウトに来ていたんですけど、そこで話を聞いたら、気持ちが傾いて。船の道もきついし、せっかく体も大きいし、いましかできないかなとか思いながらですね。
いいことも言われたんですよ。「10年に1人の逸材だ!」みたいな。その気になっちゃったんですよね(笑)。
ー
航海士の仕事は簡単に諦められたんですか?
親方
その3ヶ月の航海が、とにかく辛かったんです。船酔いはするし、ひどいときは1週間寝込む場合もある。動けない、食べれない、吐きっぱなしみたいな。しかも自分は身長も大きいから、ベッドの大きさが足りなくて。メンタルが結構やられてました(笑)。
ー
ということは、東京にはいついらっしゃったんですか?
親方
19歳です。
ー
お相撲の世界には、すぐに順応できたんでしょうか?
親方
自分、船の上で団体生活を3ヶ月してたわけで、そういう意味では団体生活に慣れてたんで、嫌われるってことはなかったです。でも稽古は、本当にきつかった。しかも、25人ぐらいの大部屋で寝ていたので、入ったときは部屋の真ん中で寝てたから、いびきがすごくて寝れませんでした。
ー
稽古も、いまより厳しいものだったんですよね。
親方
20年ぐらい前はバチバチでしたよ。最初に見学したときは、幕下を見たときに「俺はたぶん無理だな」と思いました。関取衆は次元がまた違うんですけど、とにかく幕下が怖くて。当時は部屋に幕下が10人以上いたんですよ。実際やってみたら、序二段にも勝てなかったです。
ー
力の差ですか?
親方
体力も含めて全部ですね。
ー
ここの部屋に入られたとき、体重は何キロでしたか?
親方
120キロで入って、そこから体重が落ちて110キロぐらいで長いこといましたね。ご飯もたくさん食べましたけど、太れなくて。洗濯して、食事も作ってたら、寝る暇もないし。最初は本当にきつかった。
ー
稽古は率先してやりたかったんでしょうか?
親方
いやいやいや、やりたくないです。稽古なんて、誰が考えたんだろうと思ってましたよ。
ー
1日のタイムスケジュールはどんな感じなんですか?
親方
6時とか7時ぐらいから稽古がはじまって、10時ぐらいまで。そこからちゃんこを食べて昼寝です。16時まで寝て、そこから掃除して18時にご飯、22時に消灯という感じです。
ー
稽古は午前だけ?
親方
そうなんです。そこから自主トレ。やるならやって、やらないならやらない。だけど、午後にやる人は強くなりますね、関取衆もみんなやってますよ、自主トレは。
ー
1日のスケジュールの話に戻りますが、夜はみんな、部屋にいらっしゃるんですか?
親方
そういう人もいますし、自分は18時にご飯を食べて、そこから飲みに行って、最後にステーキ食べて帰ってくるみたいな感じでしたね。
ー
18時からの晩御飯もしっかり食べるわけですよね!?
親方
食べますよ。
ー
そこからさらにまた、お酒が入るんですか。
親方
そうです。自分は昔から応援してくれる居酒屋があって、そこによく行ってました。それ以外にも、本当に色々な方に可愛がっていただきましたね。やっぱり、いい人と出会えば強くなりますよ。ぼくはこれまで本当にいい人にめぐり会えてきました。それは、本当によかったですね。
ー
応援してくれる方々の存在って、大きいんですね。
親方
一番は「この人のためにも強くなりたい」って思えるかどうか。自分だけのためには、なかなか強くなれないと思います。 そこまで欲深い人っていないです。人のためには結構頑張れるものです。
ー
親方が引退を決意した最大の決め手は何だったんですか?
親方
今年の1月で辞めたんですけど、実は10年ぐらい前から、辞めるって言ってたんです。これ以上はできないと自分の中で見切ったのかもしれないです。そもそも、30歳までやる人もなかなかいないですからね。
ただ、そこから周りの人にあと3年頑張れって言われて。3年頑張ったら、あと5年いけるって言われて。で、今年の一月場所の取組前に付き人に「負けたら辞める。そのまま挨拶に行くから、着物を用意しとけ」って言ったんですよ。そしたら、部屋に帰ると着物が用意してあったから、そのまま言いに行った。ちなみに、挨拶に行くときは着物で行きます。普段は浴衣ですけどね。
ー
挨拶しに行ったあとは、気持ちは晴れやかだったんですか?
親方
そうですね。師匠も「だろうな」って感じだったんで。
ー
そして、9月30日には断髪式が控えています。いまはもう、後進の指導にあたっているんですか?
親方
朝来て、指導してって感じです。断髪式までは自分のトレーニングもしたり。
ー
親方は主にどんな仕事を?
親方
指導もですし、本場所の警備とか、あとは巡業ですね。 そこで色々な段取りをするっていうのがいまの仕事です。上のほうへ行けば、また違いますけど、はじめはそんな感じですかね。
ー
指導に関して言えば、昔に比べて大きく変わりましたよね。それに対しての考えを聞かせて欲しいです。
親方
志を持って、前を向いてる子にはいいと思うんですけど、まだそうじゃない子もいます。たぶん、人の体はそこまでの差ってないんですよね。メンタルの向きがちょっと変わるだけで強くなるんですよ。それをどうにかして修正してあげたい。そこには、優しく言って向く子もいれば、厳しく言って強制的にやってうまくいく子もいる。そこが難しいですね。
ー
いま、相撲界の盛り上がりはどうですか?
親方
コロナで無観客とか、 声を出さない時間が続いてましたけど、解禁になって、会場もすごく盛り上がってます。いまは力士がお客さんを盛り上げてるっていうよりも、お客さんが力士を盛り上げてる感じが強いかもしれないですね。
ー
ありがとうございます。ちなみに、5年後や10年後のイメージはできますか?
親方
自分は髪切ってからが本当のスタート。色々な選択肢があるけれど、自分は本当に1人1人、皆さんに応援していただいてこそ、今後の活動があると思っています。
ー
10月26日には、親方の出身でもある島根県での出雲場所があります。
親方
コロナの前に行ったきりで、久しぶりですね。今度は、自分が先発親方で1週間ぐらい前に現地に入るんです。土俵を作ったりホテルを手配したり、スポンサーさんに挨拶したり。
ー
出雲に特別な思いはありますか?
親方
あんまり出雲のことを知らないんですよね。出雲そばは美味しいですけど、それぐらいしか知らないですね。
ー
(笑)。相撲熱は高そうなイメージがあります。
親方
やっぱり高齢の方が多いですね。今後はもっと若い方が相撲に携われば、おもしろくなっていくと思うんですが。
ー
力士の皆さんにとって、巡業ってどういうものなんですか?
親方
横綱だったり大関がいる中で、毎日稽古があるし、移動もある。それが1ヶ月ずっと続きますからなかなか大変ですが、やっぱりみんな強くなります。それに地方のファンの方にも会えるのはいいですね。
ー
ところで親方は、弟子の方々から恐れられてるんでしょうか?
親方
どうでしょう、やっぱりうるさく言うから、めんどくせぇと思っているんじゃないですかね(笑)。でも、そういう存在でいいと思ってます。
ー
ちなみに、引退されてからお休みの日は何をしてるんですか?
親方
最近はゴルフですかね。
ー
家でダラダラすることはない?
親方
とにかくそわそわして...あまりじっとはしてないですね。寝るのも嫌なんで。
ー
それはまたどうしてですか?
親方
いつまで生きられるかなんて誰もわからないじゃないですか。だから寝てる時間がもったいない。いま38歳で、時間を無駄にできないんです。だから親方になっても真剣に弟子と向き合いたいし、とにかく瞬間を大事にしながら楽しみ尽くしたいんです。いつ死んでもいいように。
MASTER OF SUMO
君ヶ濱 歩
1985年生まれ、島根県は隠岐の島出身。19歳になる頃にスカウトされ、八角部屋に入門。 初土俵は2005年1月場所、2023年1月場所で引退。最高位は関脇。趣味はゴルフ。1番好きな食べ物は寿司(特にツブ貝)。ゴルフ、大食い、猫の動画が好き。
https://www.instagram.com/sumokamen/
次の東京を創造していく表現者にスポットを当てたインタビューコンテンツ。