SCROLL DOWN

BEAT CAST

IKKI KOBAYASHI

やわらかく、強く。相反する要素を合わせ持つ、2021年のグラフィックデザイナー・小林一毅。

2021.04.23

Photo:Hiroyuki Takenouchi / Text:Taiyo Nagashima

日本の企業ブランディングの最高峰として知られる資生堂・宣伝部。同社の創業者・福原信三は類まれな起業家でありながら、日本に「写真」という芸術の体系を持ち込んだ人物でもあり、同時に自身が写真家として数々の芸術作品を遺している。この逸話からも、資生堂という企業の文化・芸術への目線が一般的な企業とは別次元にあることがわかるだろう。小林一毅さんは、そんな資生堂宣伝部に新卒入社後、わずか4年で独立。現在は個人でグラフィックデザイナーとして活躍している。様々な賞を受賞し、階段をひとつ飛ばしで駆け上げっていくような華々しい活躍の裏には、スポーツと芸術という相反するバックボーンがある。剛と柔合わせ持つそのスタンスからは、2021年を生きる私たちが学ぶべきところがある。

高校時代はスポーツにとにかく打ち込んで、文化祭にも出ずにずっと練習していました。

一毅さんには、BE AT TOKYOの占い企画「Weekly One Step」のグラフィックを手掛けていただいています。シンプルでわかりやすく、けれどどこかストレンジさを帯びた線描が魅力的ですが、ご自身の作風・スタイルを言葉にするとどうなるのか聞いてみたいです。

小林

基本的にレタリングという文字を書く技法を応用して図案を描いています。 エスキースという形式の下絵を描いて、ある程度形を決めたら製図に近い手法でしっかり線を定めて、中を塗りつぶしていく。そんな感じです。

数学的というか、図形的というか、そういう印象があります。

小林

数学的というともっと緻密なことになるかもしれません。僕の場合は感覚的に気持ちいい線を引いているんです。間合い、というのかな。全体のバランスを見ながら、いいリズム感で図案が作れるか。そこは説明しづらいところでもあります。自分の中にある、「こう組み合わせたらいい図案ができる」っていう感覚を毎回試しているようなイメージです。

ご自身のこれまでの経験の中で、今に活きているものは?

小林

以前、資生堂に勤めていたんですけど、「資生堂書体」という創業当初から伝統的に受け継がれている独自の書体があって、1年目にそれをレタリングする業務があるんです。地道な経験でしたが、その考え方をロゴマークとかキャラクターに展開していったらどうなるだろう?と、ちょっとずつ応用していく中で、今のスタイルができたんじゃないかな。大学で学んだことより、資生堂で学んだことの方が影響が大きいですね。

資生堂の宣伝部というのは、ブランディングや企業デザインの文脈で、最難関であり最高峰ですよね。そこに至るまでの過去の経験を、幼い頃まで遡って伺いたいです。覚えている一番小さい頃の記憶をまずは教えてください。

小林

一番小さい頃、そうですね…。グラフィックデザイナーの佐藤晃一さんのポスターが家に飾られていて、それをずっと眺めていた、というのがデザインに触れた一番最初の体験だったかもしれません。色彩がきれいで、なんなのかはわからなくても、その美しさが頭の深いところに残っているのかな、って。

学生時代はどのように過ごしていたのでしょう?

小林

スポーツが盛んな中高に通って、ずっとスポーツに熱中していたんですけど、同時にサッカーや野球のユニフォームとか、そういうものをデザインしたいなとずっと思っていました。

スポーツもやりつつ、何か作ってみたいなと自分の中で思っていたんですね。

小林

そうですね。高校時代はスポーツにとにかく打ち込んで、文化祭にも出ずにずっと練習していました。鬼ストイックな部活だったので。

スポーツ一筋だった高校生が、多摩美に進学を決めるきっかけというのは?

小林

元々作ったりするのは好きだったんですけど、そんなに絵心があるとは思っていなくて。まわりに絵を描く人がいなかったから比較対象もなく、建築家になりたいとか警察官になりたいとか、そういうことを考えていたんです。でも、いざ“大学どうしよう”って考えているときに、描くのが好きだからそっちの方向を模索してもいいんじゃないかと、急に思い立って。そういえば、父親も美大に行きたがってたよな、とか考えながら、そっちに進んで行きました。

予算じゃなくて、気持ちが乗っている人たちに対して仕事をやっていきたい。

移動はもっぱら自転車。取材当日も自宅から井の頭公園まで約40分かけて来てくれた。

かなり大きな決断ですよね。 それまでの生活とガラリと変わっていったのでは。

小林

わりとマッチョな男子校で、特にスポーツはどの競技も強豪でした。同級生も日本代表やオリンピアンを目指すような人ばかりだったので、皆世界基準で結果を残すための猛烈な練習と自己研究に励んでいたんですよね。だから高校生ながら自分のことをよく理解していて、その上他の人より技術的に長けている学生が、人の何倍も練習するわけです。自分が徹底した努力をしたと思っていても、さらに努力している人がいるような状況なので、もともとアドバンテージのあるものをベースにして徹底して鍛え上げることにしました。それが僕の場合は父の職業と同じ領域である美術だったんですね。

マッチョイズムというか、男社会的な価値観が強い環境だったのでしょうか?

小林

そうですね。競争意識が強くて、大会で結果を出し部活の強豪校としての伝統を守るような風土はどの部活にもあったんですが、それは伸び伸びと競技を楽しむというスポーツの本質とは少し離れているような気はしていました。

そのバックボーン、今の一毅さんからは想像しにくいですね。

小林

見た目には、体育会系の雰囲気はありませんよね(笑)。高校時代に叩き込まれたので、けっこうストイックにやるタイプではあるんですけどね。ただ、そういう方向に突き詰めるのはもういいやって。

「なんか違う」と思ったのはどうしてですか?

小林

考えたことはあまりなかったけど…、ちょっと違うな、という思いが漠然とあったんです。部活にしても授業にしても常に勝者と敗者に分けられて競争させる教育システムで、結果を出しているか否かが如実に数字に表れてくるわけです。副将という立場もあって高校時代はそれを受け入れてガツガツやってたんですが、結局それって楽しいのかなと思って。一転して美大の予備校に入って、そういうことをより意識しました。みんなフラットなんですよ。各々好きなことがあって。自分の好きなことを純粋に追求しているんですよね。皆干渉しすぎず、互いを尊重しながら個人主義でやっているのがとても穏やかで気持ちが良くて。環境の変化は大きかったですね。

自分に合っている環境が見つかったんですね。

小林

ただ、どこに行ってもマッチョイズムはあるんです。それこそ資生堂に入ってからも、「お金を稼げる仕事にちゃんと時間をかけろ」みたいな考え方をする人は少なくなかった。企業としては予算規模の大きい仕事に集中して小規模案件には時間を割いてほしくはないと考えるのはごもっともなんですが、そこに安易に従うことに対しては猛烈なアレルギー反応があって、少なくとも現場のデザイナーがそうした優劣をつけるべきではないと思っていました。個人や小規模のクライアントは予算も無く事業規模としては小さいわけですが、その人たちにとっては一生記憶に残るような一大行事です。果たしてこれは小さな仕事でしょうか。僕にはとても大きな仕事に思えるんですよね。このように仕事の大小は予算の規模で決まるのではなく、その人自身に与える影響の大小によって決まる方が健全だと思っていて、そうした人たちに対して強度のあるデザインを提供するのが僕の役割だと思っています。

ああ、素敵な考え方ですね。資生堂を離れた理由は、考え方のミスマッチがあったのでしょうか?

小林

先ほどお伝えした違和感を抱えたまま組織にいるべきではないとは思っていましたが、そもそも入社するとき、大学時代の恩師に「あなたは4年だね」って言われて。その言葉は何を意味してるんだろうってずっと考えていたんですけど…、たぶん「4年間で会社に依存しなくてもいい、独立したデザイナーになりなさい」ということだったんじゃないかな、と。だから、4年後には資生堂の人として括られるのではなく、ちゃんと小林一毅として価値を発信できるようになろうと思っていたんです。言われたことを素直に聞く性質は、マッチョな高校の名残だったのかもしれません(笑)。

タフなバックボーンが、いい形で自分を後押ししてくれたんですね。

小林

それで、4年間で組織に依存しない独立した存在になるためにはどうしたらいいか。自分の中で毎年到達目標を決めて課題を出して、それをクリアしていきました。会社には、3年目になるときに「1年後にやめます」って言ったんです。

え、それはすごい。

小林

「1年後にやめます」宣言をした時、1年後の独立のタイミングで国内で有数のグラフィックデザインコンペティションで新人賞を取ることを到達目標に決めました。組織にいるうちの受賞であれば組織の名前をメディアに出すことができるので企業としてはプロモーションいなるわけです。同時に独立前のタイミングで個人名義で賞を取るというのは僕自身のプロモーションになるわけですから、企業と個人、平等に利があるんですよね。4年で辞める不義理に対してできる微力な貢献はこれしかないと思っていました。

実際に、取りましたか?

小林

取りました。告知の段階では資生堂の所属で、授賞式のタイミングで資生堂から離れました。

興味を持っていない人たちにも、「こういう選択肢もあるよー」って伝えていけるといい。

めちゃくちゃかっこいいですね。有言実行で。 冷静に計画しながら、大胆な決断をしていく、そのバランス感覚は自分で意識されていますか?

小林

計画性はある方だと思います。それは高校のときに相当身に付きましたね。自分を冷静に、客観的に見て、どういうふうにトレーニングをしていったらどんな結果が生まれるか、予測を立てながら進むというか。

もはやアスリートですね。

小林

そうなんですかね。作ってるものを見ると感覚的な人だと思われるんですけど。わりと緻密で実直なのかな、と思います。

これからやっていきたいこと、広げていきたいことはありますか?

小林

いまは、仕事をあまりしすぎないようにしています(笑)。

それはまたどうしてですか?

小林

昨年、意図的に仕事の幅を広げていったんですけど、思った以上に広がったんです。それこそ大きな仕事に取り組むことも増えたんですけど、一人でできる範囲を超えてきちゃったっていう物理的な限界もあったし、表現に理解と情熱を持っている人たちと仕事をしたいな、という思いが強くなって。まずは、同じ目線で一緒に作り上げていける人たちと仕事をして、それを丁寧に発信していきたいんですよね。だから、共感と信頼があれば、どんな仕事でもやりたいです。 あ、忙しくなりすぎないようにはしたいんですけどね(笑)。子供も家族もいるので。

BE AT TOKYOは、そういった価値観を橋にして人と人が出会えるプラットフォームを目指しています。

小林

スモールビジネスとクリエイターが出会う場所になればいいですね。4月から女子美術大学で授業を受け持つことになって、今カリキュラムを考えているんですけど、僕が教えるのはまだ美大に入りたての学生たちです。当然知識も技術も今はありません。だからデザインという領域には「こういう選択肢もあるよー」って伝えていけるといいのかなって。そもそも知らないと研究することもできないですから、まずは紹介することで新しい才能、新しい表現が生まれる可能性が広がっていく。 BE AT TOKYOは、その入り口になれるような気がするんです。そこから多様な選択肢を伝えていけたらいいですよね。

GRAPHIC DESIGNER

小林一毅

1992年滋賀県彦根市生まれ。2015年多摩美術大学グラフィックデザイン学科卒業。資生堂クリエイティブ本部デザイナーを経て、2019年に独立。主な受賞歴に、東京TDC賞、JAGDA新人賞、日本パッケージデザイン大賞銀賞などがある。BE AT TOKYOで更新中の占いコンテンツ「Weekly One Step」のグラフィックデザイン担当でもある。
instagram:@kobayashi.ikki(https://www.instagram.com/kobayashi.ikki/

PROJECT TOP

BEAT CAST

次の東京を創造していく表現者にスポットを当てたインタビューコンテンツ。