BE AT STUDIO HARAJUKU ARCHIVES
1月9日(日)16:00~2月28日まで公開
書道家 万美によるミューラルアート、期間限定公開
© 2020 BE AT TOKYO.
BEAT CAST
Takeru Shibuya
2022.01.07
ひと昔前までは、長い長い下積みを経て、やっとの思いで世に出ていくのが常。ましてや職人たるもの、二刀流なんて言語道断だった。時代はかわり、遠く海外では日本の二刀流が大活躍し、Z世代は自己プロデュース力に長け、いきなり日の目を浴びるなんてことも珍しくない。Takeru Shibuyaさんは、まさにその筆頭だ。25歳にして、数々の映像監督を務め、OLEの名義ではラッパーとして活躍する。そんな彼の POP UPが、1月8日から原宿ラフォーレ6階にあるBE AT STUDIO HARAJUKUで行われる。今回はそれを記念し、次代を担うタレントの考えを聞いた。
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映像監督でありラッパーでもあるTakeruさんですが、仕事の割合はどのくらいなんでしょうか?
Takeru
映像とラップだと、8対2くらいですかね。気持ち的には1対1なんですけど……でも、食べていくみたいな部分でいうと、正直9対1くらいですかね(笑)。
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映像に関しては、ここ、アニメーション制作会社のODD JOBに所属されていると。
Takeru
そうです。テレビの仕事だったり、MVのアニメーションなんかも多くやっています。
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これまでTakeruさんが手がけたもので、代表的な作品はどのようなものでしょうか?
Takeru
「タイムマシーンにのって」という、PUNPEEさんのMVです。これが2019年のスペースシャワーのミュージックアワードをとって。ぼくが22歳のときですね。
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このMVでは何を担当されたのでしょうか?
Takeru
アニメーションの監督です。これがODD JOBに入って1年目の仕事でした。で、監督のSITEさんとPUNPEEさんにこのトロフィーが渡されたんですけど、パンピーさんはもう持ってたようで、あげるよと(笑)。
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ODD JOB自体は、いつ設立なんでしょう?
Takeru
2004年ですね。最初、うちの会社は音楽レーベルとして立ち上がったんです。その一環でアニメーションを作ったら、スペシャの賞を獲得して、じゃあ自分たちでアニメーション作ってみるか、という流れでいまの形になったらしいです。だから社長も副社長もDJをやったりしていて。
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Takeruさんはいつから所属を?
Takeru
大学4年のときにバイトとして入りました。それが5年前。もともと広告代理店とかのインターンをやっていたんですけど、広告業界が肌に合わなかったんです。もともと映像が好きで、学生時代からやっていたので、純粋に映像だけを作りたいと思いODD JOBにDMを送りまして。で、副社長と面接したとき、そのときぼくがDOWN NORTH CAMPのジャケットを着ていてたら「いいの着てるね。うちもヒップホップ好きが多いから、うちおいでよ」と言ってくれて。
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一方でOle名義でラッパーとしても活躍されていますが、どのような活動を?
Takeru
ライブもだし、EPも作ったりしています。これまで3枚くらい出しているんです。だけどいま、アルバム制作中なんですけど完全につまってますね。今年からはライブも増やしていけたらと。
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ここからはTakeruさんのいまを象ってることを聞いていきたいのですが、アニメーションはいつから興味があったんでしょうか?
Takeru
明確に興味を持ったのは高校生のときでした。もともと、うちの家で「カートゥーンネットワーク」というチャンネルを見ていたんです。小さい頃からずっと。そして高校生になって、進路を考え始めるんですけど、そのときくらいから「カートゥーンネットワーク」で流れてるCMがめちゃくちゃおもしろいなって思うようになって。
ぼく、クラスで少し絵がうまいやつだったんです。で、進路に悩んでるタイミングで、油絵を授業で書いてたら、先生が「あんた美大行きなさいよ」って。そのとき、行きたいとこもなかったし、興味がないわけじゃないからとりあえず受けるかと。
ー
ちなみに、先生に褒められた油絵ってどんなものだったんですか?
Takeru
自画像がテーマだったんですけど、全然描けないから途中でふざけはじめたんです。舌を出した赤ちゃんを書き始めて、それもなんか恥ずかしくなって、目に眼帯つけたりして、海賊赤ちゃんを描いたら意外とウケて。
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そもそも高校時代は美術部だったんですか?
Takeru
全然です(笑)。バドミントン部でした。だけどものを作るのは好きだったんですよね。そして高校3年の頭くらいに、実際に美大を受けることを決めて予備校へ行ったら、とんでもなく絵がうまいやつがいるわけです。そこから一気に火がついて。
渋谷さんがアニメーションを志すようになったきっかけのひとつのCM。CRCRというイギリスの会社が制作したもの。
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とんでもない切り替えですね。そこから猛勉強ですか?
Takeru
そうです。なんだけど最初は勉強はいらないと思ったんですよ。とにかく絵が描ければいいと。だけどそんなわけはもちろんなくて、結局英語の勉強はめちゃくちゃやりましたね。絵も1年間勉強して。正直ギリギリでした。
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ちょっと漫画みたいな世界です(笑)。ドラマチックというか。絵はいつから描いてたんでしょうか?
Takeru
落書きレベルですよ。教科書の隅で棒人間戦わせたりするくらいで。ただ、絵を見るのは好きだったから、例えばレンタルのCDショップへ行って、ジャケットを眺めてたりしていました。ヒップホップに繋がるのもそこでgroovisions(デザイン事務所)がやってたリップスライムのジャケットとそこで出会って、借りてみたら音楽もかっこよくて。
ー
そして武蔵野美術大学に現役合格ですものね。ご両親はクリエイティブ関係ですか?
Takeru
母が保育士で、父が牛乳屋なので、まったくクリエイティブなことはしてなかったですね。なので、DJネームもOleなんです。
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いまの映像のお仕事は、基本的にはPCのみですか?
Takeru
それが、いまはむしろ、PCから離れていってるんです。PCで作るものに対して、逆に背景とかを手書きで描くような。
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これもTakeruさんが描かれたんでしょうか?
Takeru
いえ、大学の友達にお願いしました。やっぱりアナログの部分が入ると、ぬくもりとか質感とかが出るんですよね。こういうことが、デジタルの時代だからこそ大事なのかなと思っていたりします。一手間だけど、アナログを加えるだけで、雰囲気がガラッと変わるんです。デジタルが発達して、効率化とかも叫ばれますけど、めんどくさいところを敢えてやらないと作品はよくならない。ロマンに近いものもありますね。
ー
2021年の思い出の作品を教えてください。
Takeru
マセラティと藤原ヒロシさんがコラボレーションしたんですけど、その映像は思い出深いです。監督からアニメーションまで、すべてやりました。
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すべてをこなすってすごい労力ですよね。ちなみにこれが一番だった理由は?
Takeru
自分のやりたいことが素直にできたんです。演出とか、画面のつなぎ方だったり、心臓を用いたグロテスクな表現とか。グロテスクなとこって敬遠しがちだと思うんですけど、そこをアニメーションの力でポップにしてあげて、アニメーションに組み込むことで、説得力が出たりとか、引きつけるものになるんです。これは完全に、海外カートゥーンの影響だと思いますね。
Takeru
あと、2021年は、コンテもなるべく細かくして、より相手に伝わるようにと意識していたんです。チームでよりクオリティの高いものを作るとき、やっぱりコンテが一番なんです。あるとき1980年代の『ルパン三世』のコンテを見させてもらったんですけど、それがすごいクオリティで。コンテの段階ですでに動いているわけです。それを見た時に、コンテの大事さを痛感したんですよね。
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お話を聞く限り、そうとう多忙かと思うんですけど、その隙間を縫って、ラップをやってると。
Takeru
忙しい感覚はないんですよ。好きなこと、やりたいことをやっているので。あと、例えば映像の仕事だと、いちばんはクライアントの意図を汲み取って、そこに最大の効果をもたらすことを考えますけど、ラップとか自由なクリエイティブは自己表現の部分が強い。純度100パーセント自分。やっぱり、片方だけだと作り手として死んじゃう気がしていて。この2つで均衡を保ってる感じでしょうか。
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Takeruさんの映像は、アニメーションと音楽が、どちらもクロスオーバーしてるように感じます。
Takeru
大学のときは点と点だったんですけど、大学を卒業するときに、唾奇さんの「Let me」というMVでアニメーションで参加させてもらったんです。これがはじめて作ったヒップホップのMVでした。このときに、はじめて自分が好きな音楽と映像が交わった瞬間で、ここからいろいろはじまって、広がった感じはありますね。
ー
そもそもですが、映像は大学で学ばれたのでしょうか。
Takeru
いえ、独学ですね。でも入試のときは視覚デザイン学科を受けました。120点中30点しかとれなくて、がっつり落ちて(笑)。浪人決定だなと思ってたんですけど、そのあと基礎デザイン学科を受けた時に、色彩構成というテストだったんです。そこで雲を書いてくださいと。そこで満点をとってなんとか現役合格できて。でもいざ入学してみると、そこにいる人はみんなデザインができるから、自分のアイデンティティを見失ってしまって。そのときにグラフィックを動かすモーショングラフィックスという分野があることを知って勉強をはじめたんです。
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そしてこの辺が、影響を受けたものですね。
Takeru
自分、ヴィンテージトイを集めるのが好きで、これはスヌーピーの初頭のもの。家にはもっとたくさんあるんですけど、ごくごく一部です。あと、よく神保町とかに行って、古いアメコミを物色するんです。そういうもののなかで、印刷の荒さであったり、よくわからない広告とかも、インスピレーションを与えてくれます。
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そして1月8日からはBE AT STUDIO HARAJUKUでエキシビジョンがあると。
Takeru
そうなんです。私物とか、アパレルとか、他にも作品が並ぶ予定です。シルクスクリーンで作ったアパレルも、個人的には結構気に入っていて。
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シルクにしても映像にしても、本当にアナログに回帰してるんですね。
Takeru
最終的にはPCを使わなくなるんじゃないかな(笑)。でもやっぱり、手作業は唯一無二だし、生まれてくるものも圧倒的なオリジナリティがあるわけで。
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世代で括るのもあれなんですけど、Takeruさんの世代って、本当にいろんなことをやってる人が多いですよね。
Takeru
情報がめちゃくちゃ多いから、いろんなところに興味を向けられるってのはありますよね。ディグりやすい時代でもある。だけどその分、発信しなくちゃ埋もれちゃいます。だからみんなセルフプロデュースが上手なのかも。
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それでは、2022年の抱負があればお願いします。
Takeru
コロナでライブもできなかったから、ラッパーとしての活動の幅は増やしていきたい。映像は、チームとして動くときの、監督としての動きの精度をあげていきたいです。そこの精度をぼくがあげることで、結果、作品のクオリティにつながってくと思うので。
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25歳で、それに気づくのが素晴らしいです。
Takeru
いままでノリでできた部分はあったけど、ノリだけではどうにもならない壁を感じて。なので作品とは直接的に関係ない部分も、本当に頑張っていきたいなと。
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今後、やってみたい仕事はありますか?
Takeru
オリジナルのアニメーションは作りたいと思っています。「Hikakin TV」でアニメを作らせてもらったんですけど、それは脚本から担当したんです。それがすごく楽しくて。あとはやっぱり、いつか憧れのカートゥーンネットワークの仕事はしてみたいですね。そして、まずはBE AT STUDIO HARAJUKUのポップアップに、みなさん来ていただけたらうれしいです。初日の1月8日にはOleとして、会場ライブも行う予定なので是非!
映像監督 / ラッパー
Takeru Shibuya / Ole
1996年東京生まれ。武蔵野美術大学基礎デザイン学科出身。グラフィックと実写を組み合わせた映像表現、カートゥーン調のキャラクターを用いたアニメーション表現などを得意とする若手映像監督。2019年にはアニメーション監督を担当したPUNPEE「タイムマシーンにのって」がスペースシャワーアワード BEST CONCEPTUAL VIDEOを受賞。他にもPUFFY「エッサフォッサ」、ビッケブランカ「Ca Va?」、唾奇 × Sweet William「Let me feat. CHICO CARLITO」などのMVから、広告、ライブ演出映像、デザインやイラストに至るまで活動は多岐にわたる。「Ole」名義ではラッパーとしても活動する。映像と音楽をクロスオーバーさせ自由自在に行き来しながら自身を表現する様はまさに二刀流。
Instagram:@ole_takeru_shibuya(https://www.instagram.com/ole_takeru_shibuya/)
次の東京を創造していく表現者にスポットを当てたインタビューコンテンツ。