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KOSUKE YAMAGISHI

趣味をクロスオーバーして生まれる表現。SOFTMACHINE・山岸航介のライフスタイル。

2022.05.20

Photo:Shin Hamada / Text:Yuichiro Tsuji

アパレルブランド〈SOFTMACHINE(ソフトマシーン)〉のディレクターを務める山岸航介さんは多彩な人物だ。ファッションとタトゥーを掛け合わせた同ブランドは今年で設立20周年を迎える。一方、朝は海でサーフボードをあやつり波に乗り、週末はDJとしてフロアを沸かせる。そのどれもが互いに好影響を与え合い、日々の彩りを豊かにしている。自信に満ち、そこから生まれる魅力が人を惹きつける。すると、再び仕事や趣味にいい回転が生まれる。そうした循環の起点はどのようにしてつくられるのか? 山岸さんのオフィスを訪ね、自身のライフスタイルをについて語ってもらった。

ファッションの仕事で自分に合うものを見つけたいと思った。

山岸さんは小学生の頃からファッションに興味を持ち始めたそうですね。

山岸

俺はサッカー部だったんですけど、いつもジャージを着ていました。それで小学校6年生のときに、4つ上の姉から「あんたいつもジャージ着ててダサくない?」と言われて。そのひと言がきっかけでファッション誌を読んだり、お小遣いをもらって渋谷に買い物へ行ったりするようになりました。自分が中学生に上がった頃にはファッションで飯を食おうと決めてましたね。

ファッション以外に好きなものはあったんですか?

山岸

音楽ですね。親父がレコードのコレクターで、家にたくさんレコードがあったのと、スピーカーもイチからつくってしまうような音オタクだったんです。すっげぇ高いプレーヤーも持ってたり。小さな頃に俺がアニメとかを見ていると、それを消してレコードをかけるような人でした。だから、その頃は洋楽が大嫌いで(笑)。だけどそれが耳に残っていて、中学生くらいになると「これ聴いたことあるな」っていう曲を徐々に知るようになったんです。

ポップスだったんですか?

山岸

ビートルズやイーグルス、ハービー・ハンコック。あとはクラシックを親父がかけてて聴いてました。姉の影響でJ-POPも聴いてたし、俺はスティービー・ワンダーとかソウルミュージックが特に好きで、あとブルーハーツも大好きでした。

ジャンルを問わずいろいろ聴かれていたんですね。

山岸

まぁでも、その頃はなによりスティービー・ワンダーが好きでしたね。CDを買い漁ったりして。レコードは面倒だから、CDでソウルミュージックを聴いていました。ひとりだけ中学の同級生に音楽好きの奴がいたんですけど、彼にいろんなアーティストを教えてもらって。いま彼はブルーノートで働いているんですけど。

なるほど。だけど、音楽の道ではなくファッションの道を選ばれたんですね。

山岸

楽器が弾けなかったし、DJになろうっていう発想もなかったですからね。とにかく聴くのが好きだっただけで、それを仕事にしようという気持ちはありませんでした。楽器って小さな頃から習うもんだと思ってたから、中学生ではじめても遅いなと思っていたし。だからファッションの仕事で自分に合うものを見つけたいなと。

それが自身でブランドをやることだったと。

山岸

結果的にはそうなりましたね。高校生で進路を考えるときに文化服装学院に行こうと思って、受験したら受かったんですよ。スタイリスト科だったんですけど、いろんなことやってたから総合的にファッションの勉強ができて。卒業したらどっかのお店に入って働こうかなとぼんやり考えていたところで、渋谷の「REDWOOD」っていうお店が募集をかけていたので応募しました。

アメカジのお店ですよね。

山岸

そうです。好きでよく通っていて。それで面接をしてもらって無事に入社できることになったんです。そこで3年ほど働いていて、後半は店長もやっていました。

そこからどのように自身のブランドにつながっていくんですか?

山岸

バイヤーの上司がいて、「この服とこっちの服、どっちがいい?」って聞かれて、自分がいいと思うほうを伝えたら、「そっちじゃなくてこっちのほうがかっこいいだろ!」って決めつけられて。なんだかそこに違和感を感じたんです。そうやって押し付けるもんじゃないんじゃないかなって。それで店を辞めました。そいつの下で働いててもしょうがないと思ったから。

すぐなくなるようなブランドでは、買ってくれた人に申し訳ない。

文化服装学院を卒業してから3年ほど働いた後ということは、当時23歳くらいですか?

山岸

そうですね。24歳のときに〈SOFTMACHINE〉をスタートしました。その頃からタトゥーを入れていたんですけど、そのタトゥーアーティストが今の〈SOFTMACHINE〉のデザイナーで、事情があってタトゥー以外のことで飯を食っていかなきゃいけないと相談されて。それで「一緒にやらないか?」と。俺は服の勉強しかしてこなかったから、ファッションとタトゥーを掛け合わせようということになって。

タトゥーはどうして入れたんですか?

山岸

ファッションは好きだけど、服を着てても街で被ったりするじゃないですか。それが嫌で、自分だけのものが欲しかったんですよ。タトゥーを入れれば肌が変わるじゃないですか。それにクールだなって思ったし。それで興味本位で入れてみたら、どんどん火がついちゃって。

いまはもう全身に入っているんですか?

山岸

背中はまだ結構空いてます。いま40人近いアーティストの作品が入っているんですけど、この先もまだまだ入れたくて、スペースを残しているんです。コレクターみたいな感覚があって、慌てて入れちゃうと、これから先、気になったアーティストに彫ってもらえなくなっちゃうから。

山岸さんみたいに、複数のアーティストに彫ってもらう人って珍しいですよね?

山岸

たしかにあまりいないかもしれないですね。俺の場合は〈SOFTMACHINE〉と関係があって、パートナーであるデザイナーがもともとタトゥーアーティストなんですけど、ブランドをはじめた頃は彼がデザインをやっていることを公表してなかったんです。だけど、俺はタトゥーアーティストじゃないし……、このままだとブランドとして薄っぺらいものになってしまう。そんなことを考えているときに、パートナーから「タトゥーのこと勉強しなよ!」って言われて、それがきっかけで海外の本とかを片っ端から見るようになったんです。そうすると次第に好きなタトゥーアーティストができて、それがだんだんアイドルのような存在になっていって。

実際にアメリカにも行って、憧れのタトゥーアーティストに会って彫ってもらったりするんですけど、話すうちにだんだん仲良くなるんですよ。そうやって好きなアーティストたちと関係を深めていくのが楽しくなって、のめり込んでいきました。

ただ、自分もタトゥーの世界に染まっていきながら、ブランドの価値を高めるのには苦労しました。でも、何年か経ってから実際にタトゥーアーティストがお客さんになってくれたり、彼らから〈SOFTMACHINE〉が好きですと伝えられたときは本当にうれしかったですね。海外のアーティストとコネクションができて、コラボしたり、アメリカのコンベンションにも出店させてもらったり、ようやくタトゥーの世界と向き合っていることを認めてもらえたんだなという実感が生まれました。

日本を代表する彫師、二代目彫芳の作品集(2002年再発刊)。彼は彫師でありながら身体にはひとつも刺青が入ってなかったというのは有名な話。

サンフランシスコを拠点に活動している世界的に有名なタトゥーアーティストのGRIMEを山岸さんの友人のペインティングアーティストのHAWN BARBERが描いた作品。

日本と海外では、タトゥーに対する考え方が異なりますよね。

山岸

まったく違いますね。いまでこそタトゥーを入れている人は増えましたが、ブランドをはじめた20年前はもっと少なかった。日本では「そんなに入れて大丈夫なの?」って言われるけど、アメリカでは「そのタトゥー、クールだね!」って街を歩いてて女の子に言われたりしますしね。タトゥーアーティストって向こうではスター扱いだし、普通にテレビにも出ている。俺自身もそれが普通だと思ってます。

日本にいて、息苦しさみたいなものは感じないですか?

山岸

困ったことは一度もないですよ。後悔したこともないですし。別に温泉だって入れるところはあるし、プールなんてもともと行かない。海はタトゥーしてても入れるから。「大変じゃない?」ってよく言われるけど、全然そんなことないです。タトゥー入っててかっこいいねと言われたり、モデルとして呼ばれたりとか、いいことしかないです。

なるほど。そうしてタトゥーと真摯に向き合いながらブランドを続けて、今年で20周年を迎えられました。いま、どんな気持ちでいますか?

山岸

今年は派手に騒ぎたいなと思ってます。電気グルーヴやFUCT、RWCHE、SURFSKATECAMP、YELLOとコラボアイテムをリリースする予定です。だけど、20年は本当にあっという間でしたね。

左:20th Anniversary SINNERS=T Tシャツ 8月発売予定、右 SOFTMACHINE × 電気グルーヴ Tシャツ 8月発売予定

SOFTMACHINE × FUCT Tシャツ、ベルト 8月発売予定、右 SOFTMACHINE × RWCHE Tシャツ 8月発売予定

SOFTMACHINE × SURFSKATECAMP Tシャツ、ソックス 8月発売予定、右SOFTMACHINE × YELLO ブーツ 9月発売予定

気づいたら20周年だった、という感じですか?

山岸

そうですね。ブランドって続けないとダメだと思うんですよ。すぐなくなるようなブランドだったら、買ってくれた人に申し訳ないじゃないですか。だから、とりあえずやらなきゃなって。周りの人たちやスタッフに支えられてなんとか続けてこられましたね。

人に恵まれている、と。

山岸

ひとりでは成り立たないですから。スタッフには助けてもらってます。昔はひとりでいろんなことをやっていたけど、いまはスタッフと分担していて、むしろ俺がなにもしてないくらい(笑)。おかげで毎日サーフィンに行ったり、夜はクラブでDJやったり、いい感じで楽しくやれてますよ。会社として大きくなったわけではないけど、みんなが飯食えるぐらいのビジネスにはなってます。

もっと大きくしたいというお気持ちはあるんですか?

山岸

ないですね。

やっぱりそうだと思いました(笑)。

山岸

もちろん売り上げは必要ですけど、無理にビジネスを大きくしようとは思わないです。先のことは考えずに、とりあえずいまを楽しみたいから。

ブランド設立当初と現在で、変わったこと、変わらないことってありますか?

山岸

好きなことは変わらないですね。俺は奇抜な服とか好きじゃないし、いまもベーシックなものばかり着てます。迷って変なデザインを加えたこともあったけど、原点回帰というか、いまはブランドをはじめた頃のクリエーションに近いような気がします。Tシャツ、デニム、シャツが好きだし、そういうスタンダードなアイテムをベースにして、そこに面白いグラフィックやアイデアを盛り込んでいます。

変わったことは、いい意味で力が抜けてきたことかな。はじめの頃はブランドを大きくしなきゃとか、営業もガンガン回ってたけど、いまは毎日リラックスしてます。気持ちの余裕が生まれたというか。それがクリエーションにも活かされていると思うし。例えば、Tシャツの色を決めるときとか、昔は2日間悩んで決めてたけど、いまはサッと5秒で決められる。自分のインスピレーションを信用できるようになったんですよね。これは20年の経験から生まれるものだと思います。だからいまはすごく楽なんです。

ファッション、タトゥー、サーフィン、DJ。その全部が繋がっている。

先ほど「サーフィンに行っている」と仰っていましたが、サーフィンはいつ頃からやっているんですか?

山岸

サーフィン自体は20年前からやっているけど、当時はいまほど頻繁には行っていませんでした。パンデミックが起こって、DJのスケジュールが空いてしまったから、その代わりに行くようになって。

じゃあここ数年でよく行くようになったんですね。

山岸

ずっとサーフィンへの憧れがずっとあったので、いつかは本腰を入れてやりたいと思っていたんです。そんなときにコロナ禍になって、週末にやることがなくなったから、これチャンスじゃん!って。それまでは毎週のようにDJをしていたから。だから、サーフィンをちゃんとやり始めたのは一昨年前からですかね(笑)。

サーフィンをやっていると、精神的にすごく安定するんですよ。よく言うじゃないですか、運動すると安定するって。悩んでいるときとか、落ち込んだときに汗をかくと気持ちがポジティブな方向へ向かって、やる気が生まれる。朝海へ行って、その後仕事すると、めちゃくちゃ効率よく頭が回転して捗るんです。

DJは“Mustache X”という名義で活動されていますよね。いつ頃、どのようにしてはじめたんですか?

山岸

7年くらい前ですね。さっき話したように音楽がずっと好きで、20歳前後で電気グルーヴを聴いてからテクノにハマって。友達に音オタクが多くて、家に集まってひたすら音楽を聴いていた時期があったんです。エイフェックス・ツインとか、スティーブ・ライヒとかみんなでよく聴いてましたね。タトゥーが入ったやつらがそうやって集まって音楽聴くっていう(笑)。俺もCDを買いまくって、家に何千枚とあります。音楽って時間じゃないですか、一生で聴ける音楽の量って決まってると思って音楽を聴いています。だから良いものだけをたくさん聴いてきたという自負があります。

それでDJをやろうと思われたんですか?

山岸

いや、それでもDJをやろうという気持ちはなかったんです。でも、クラブにはよく行ってて、そこでいろんな偶然が重なってすごく仲良くなったのが、スケボーキングのShigeoだったんです。で、あるとき、DJができるソフトを手に入れて、Shigeoがちょっとやってみなよって言うんです。それでやってみたら、最初からできて(笑)。それで「やればいいじゃん!」って。だけど、人前ではできないと思ってたんですけど、別の友人のDJ MARRも一緒にいて、「なんでもいいから、とりあえずやってみればいいんだよ!」って背中を押されて……。

それで活動をスタートさせたわけですね。

山岸

よくよく考えたら、小さな頃から好きな曲を集めてテープに録音したりしてたから、曲の順番を考えたりするのが好きだったんです。DJはそれの延長かなって。

だけど、それで毎週のように活動するのは簡単なことじゃないですよね。

山岸

そうだと思います。20年やってもダメな人はダメだと思うし。DJは本当にセンスの勝負だから。それがないとやっていけないと思う。

ご自身の中で、どういった部分にセンスを感じますか?

山岸

選曲がまず他の人と違います。ずっと似たような選曲にするのは嫌なんですよ。だから、ダンスミュージックの中でも異なるジャンルのものを常に合わせること、そしてそれを違和感なく繋ぐことですかね。

あとは、音階とかのロジックを俺はまったく理解していないんだけど、Shigeo曰く「ほぼ合っている」みたいで。感覚ではわかってるみたいです。

自分は音が気持ち悪いと具合が悪くなってしまうんですよ。昔とあるフェスで踊っていたら、音が悪くて気持ち悪くなっちゃったことがあって、でもそれって、他の人よりも敏感ってことじゃないですか。つまり、自分が気持ち悪くなければ、他の人も気持ち悪くないってことだから、俺のDJはきっと聴きやすいはず、そう思ってます。

そうした感覚は、小さな頃のお父さんの音響へのこだわりが影響しているんですかね。

山岸

その影響はあると思います。親父がいい音を聴かせてくれていたから。あとは若い頃から仲間と一緒に音楽を聴いていたから、どれがクールでどれがかっこ悪いかっていう基準がすごく研ぎ澄まされているのかもしれません。

ずっと音楽を聴いてきたのが大きいと。

山岸

それは絶対にありますね。その経験値は普通の人よりも絶対に高い自信がある。やっぱり音楽が好きだし、読書とかと違って向こうから耳に入ってきてくれる、だから楽だし楽しいっていう気持ちが大きいですね。

お話を伺っていて思ったんですが、山岸さんにはファッション、タトゥー、サーフィン、音楽という4つの軸がありますよね。その中でファッションとタトゥーは表裏一体というか、リンクしていて、サーフィンと音楽は互いに共鳴し合ったり、もしくは仕事に影響を与えたりするのでしょうか?

山岸

うん、全部繋がってますよ。DJをはじめて人前に出るようになってから自信がついたし、誰もやったことのない選曲をしようっていうアイデアや考え方は、ファッションにも活かされるようになりました。サーフィンは、デカい波が来るとめちゃくちゃ怖いんですけど、その恐怖を経験したその日の夜に、WOMBとか大きな箱のメインフロアでDJをすることがあって。昔は緊張したけど、サーフィン中に大きな波で怖い思いをしてるから、大丈夫でしょ!って思えるんです。それ以来、全然緊張しなくなりましたね。

いろんな相乗効果があるんですね。

山岸

そうですね。だけどサーフィンは本当に究極だと感じてます。

時間の使い方がすごいなと思います。

山岸

いっぱい寝なければいいんです(笑)。サーフィンをはじめて生活がすごく変わりました。コロナで海外も行けないし、DJもできないってなって、その中で楽しいことを見つけられたのは本当に運が良かったと思いますね。体の調子もいいし、朝早く起きるために食事も変えたりして、今はサーフィンが生活の中心にあります。

体さえ丈夫であれば、サーフィンは死ぬまでできますから。それならやらない手はない。友達と酒飲んだり、クラブで遊ぶのも楽しいけど、サーフィンは今自分にとってはるかに楽しいんですよ。そういう趣味を見つけられたのは本当に幸せなこと。だから落ち込んだりもしなくなりました。行けば楽しいことが待ってるから。自分にとってお守りみたいなものですね。

魅力的な人がつくるものがかっこいいと思うから、自分もそうなりたい。

これからの目標はありますか?

山岸

個人的な話をすると、サーフィンがうまくなりたいとか、いい箱でDJをやりたいとか、好きなアーティストと共演したいとか、海外に行けるようになったら会いたいタトゥーアーティストのところに行ってタトゥーを入れたいとか、そういう目標しかないですね。

〈SOFTMACHINE〉に関しては、とくに大きなものはないんです。みんなで楽しく飯を食っていけたらいいなっていうのが目標。ただ、続けるためには自分がしっかりしないといけない。人に見られる商売だし、だからこそクールなタトゥーアーティストに作品を彫って欲しいし、サーフィンやDJを通して魅力的な人間になりたいなと。逆にみっともない真似はしないようにしています。

自分が若い頃に憧れてた人たちって、ただ服をつくっているだけじゃなかったんですよ。ブランドをやっているけど、蓋を開けたらスケートをしていたりとか、バンドをやっていたりしていたんです。しかも、中途半場じゃなくて本気だったからすごいかっこよくて。そういう魅力的な人がつくるものがかっこいいと俺は思うから、自分もそうなりたいですね。

本質的な魅力があるというか。

山岸

そうですね。ただ服をつくるなんて誰にでもできるから。やっぱり自分が好きなものがあって、それを本気でやっている人ってかっこいい。中途半端にやると、全部薄っぺらく見えちゃうから。なにかをやってて、それをとことん突き詰めている人って本当に少ないと思うんです。だけど、俺はそれができる人間になりたい。それが目標ですね。

SOFTMACHINE DIRECTOR

山岸航介

やまぎし・こうすけ。東京都出身。高校を卒業後に文化服装学院に入学。その後、渋谷にある「RED WOOD」にて店長を経験したのち、2002年に当時タトゥーアーティストだったグラフィックデザイナーのShuと共にブランド〈SOFTMACHINE〉をスタート。今年で設立より20周年を迎える。一方で、週末は「Mustache X」名義にてDJとしても活躍。都内にあるクラブやDJ BARを中心に精力的に活動している。

http://www.softmachine-org.com
Instagram:@softmachine_official(https://www.instagram.com/softmachine_official
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次の東京を創造していく表現者にスポットを当てたインタビューコンテンツ。