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高木完『ロックとロールのあいだには、、、』

第12回の5: 青木和義さんは今野雄二さんと出会って、セックス・ピストルズを聴かせてもらう

2022.10.26

Text : Kan Takagi / Illustration : UJT

ビームスが発行する文芸カルチャー誌 IN THE CITY で好評だった連載が復活。ストリートから「輸入文化としてのロックンロール」を検証するロングエッセイ

青木和義さんの口から語られる葡萄畑の変遷を知ると、時代の空気も見えてくる。

「デビュー前の第1期葡萄畑の頃、はちみつぱいのライヴを初めて観たんですが、『あまりに方向性が似過ぎていて、彼らを越えられるわけない』と思ったんです」
「はちみつぱいは唯一無二と言うか今でも大好きなんだけれど、日本に(笑)二つは要らないと。そんな訳で、デビューに向けての試行錯誤が始まったんです。その結果、ザ・バンドの様なアメリカーナ的アプローチに加えて、諧謔的でパロディ感覚に溢れた歌詞の世界とサウンド構築を目指すことになったんです」
「シングル盤デビューからほどなくして、小坂忠さんのバックバンドとしてライヴツアーへの参加が決まりました。忠さんの音楽性は、僕たちよりもっとソウルでしたが、僕もシカゴのシャイ・ライツとかモータウンとか好きでしたから、むしろスティーヴィー・ワンダーのようにいろんなことをやれば良いと思うようになり、それでいろいろな曲を作り始めたらメンバーも賛同してくれて、ファースト・アルバムの収録曲だけでなく、さらにセカンド・アルバム録音へ至る流れが出来上がって来たんです」

小坂忠のバッキングをフォー・ジョー・ハーフの後に務めたのが葡萄畑である。だから葡萄畑の変遷のきっかけは、ブリティッシュ・ロックのモダン・ポップにあっただけではないのだ。

1977年ではあるが、翌年『Mr. サマータイム』のヒットで全国的に知られるようになるサーカスが葡萄畑のライヴに参加している映像(今野雄二さん司会のTV番組『NOK ニューおもしろ倶楽部』)を今はYouTube で見ることが出来る。

「2人か3人の女性コーラスを入れたのはデフ・スクールの影響もあったと思います。ミュージックホール的な感じで。イギリスからNMEを取り寄せて読んでる友人が教えてくれたんです」

サーカスの参加は、プロデューサーであった渡辺忠孝さんの意向もあったようだが、そもそも渡辺さんが葡萄畑を今野雄二さんとつないでいた。

「『スロー・モーション』のラフ・ミックスを渡辺さんが今野さんに聴かせたら、すごい気に入ってくれたんです。それで紹介してくれて、会ったら絶賛してくれるんです。話したらすごい盛り上がって、ちょうど僕らもロキシーとか聴き始めてたから『こうなったら今野さんが喜ぶレコードを作ろう』ってなって(笑)。道標としてわかりやすいじゃないですか。もちろんそれだけで作れる訳ないんですが、今野さんにはすごいお世話になりました。音楽というものを一つの文化として捉えるってことを教えてくれたんです」
「『映画は一番の総合芸術であるわけなんだけど、音楽もそうあるべきだ』って言ってもらったんです。音楽家でも写真家のことも知らなければいけない、といったことに始まって、マニエリスムのことやダダのことなどなど、、、数多くの事を今野さんから教わりました」

ある世代にとって、音楽、映画その他もろもろ、今野雄二さんの影響力には絶大なものがあった。それは僕自身も。

「(セックス・)ピストルズのシングルは、最初今野さんの自宅で聴かせてもらいました。『え? パンクって言うけど、これめちゃめちゃ上手い、、、クリス・トーマスがプロデュースしてるから、それはいい音になるわ』って思いました。葡萄畑も当時安全ピンいっぱいつけて、パロディっぽい曲をジァンジァンでやりましたよ」

ジァンジァンは渋谷の東京山手教会地下に1969年から2000年まであった小劇場で、70年代には多くのフォーク、ロックのミュージシャン、グループが出演していた。

「ジァンジァンは生ピアノも置いてありましたし、狭いですけど日頃からリハーサルでやっているようなかんじでやれましたよね。当時チューリップや井上陽水さん、長谷川きよしさんも出てました」

現在ウェブで見ることの出来るフライヤーを確認したところ、1975年の4月29日に葡萄畑としてのライブの告知が載っていた。残念ながら本稿で話題となっている77年ごろのアーカイブはまだ発掘されていない。演劇はもちろんのことシンガーソングライター系やシャンソン系に混じりルージュや安全バンドも出演していて、まるで今のDOMMUNEを思わせるような振り幅である。

劇場主である高嶋進さんの自伝的小説『ジァンジァン狂宴』によると
「五輪真弓、井上陽水らがジァンジァンのオーディションを受けてデビューした。ほかに、音楽の世界では淺川マキ、ブルース・クリエイション、長谷川きよし(70年)、吉田拓郎、六文銭、泉谷しげる、吉田美奈子(71年)、チューリップ(72年)、その後もリリィ、上田正樹、キャロルなどがジァンジァンを舞台として巣立って行く」
(2013年、左右社刊より)

葡萄畑マンスリーライブの流れで奥平イラさんとのメトロポリスもジァンジァンでライブをする。

「メトロポリス始めたのは(イラさんに会って)こいつら面白そうだな、と、思ったわけ。すぐ気が合いそうだった。78 年に葡萄畑がバラバラになるんですけど、その後半ぐらいにピアノの佐孝とふざけたことをやったりしてたんです。『潮来笠』を『ワンノート・サンバ』のメロディで歌って、途中からボサノバになっちゃうとか。そんな感じで2人でやってたから、テクノ的なものに発展するのは自然な流れでしたね」

新しい波が押し寄せてきた時代、、、

「僕らはまだポリドールレコード所属(?)だったので、池尻大橋にあった(通称)タイガースビルでリハーサルさせてもらってました。ピアノにエーストーンのリズムボックス置いて、アナログだからテンポも狂うんだけど、リズムボックスに合わせてドラム叩いて。イラがコルグのシンセで。それをほぼみんな持ち込んで、ジァンジァンで何回かやりましたね。テクノポップと呼ばれるものをまんまやっては面白くない、、、ので、あえて子供が喜ぶようなものをやろうってかんじで、やってました。コンセプトは、クレージーキャツ・ミーツ・クラフトワーク」

メトロポリスがライブ活動をした1979年はプラスチックス、ヒカシューとほぼ同時期。

「プラスチックスは、最初ロキシーのカバーやっていた頃のは『NOK』で見ましたけど、演奏がやりたいことに追いついてない感じだったのに、そのあと桑原茂一さんに誘われて観て、原宿のどこかで、まわりをビニールで覆った中でやってた時のはすごいかっこよかったです」

今につながる東京のニューウェーブシーンの始まりだ。

「僕が茂一さんと知り合ったのは、彼が『スネークマンショー』をやってたじゃないですか。あの時、エドウィンがスポンサーだったから、エドウィンのCM曲書いてくれって言われたんです。『こういう曲書いて欲しい』てことで、オールディーズのロッカバラードみたいなのを」

スネークマンのラジオ番組は当時ずっと聴いていた。エドウィンのCMもうっすら覚えている。

「その後、キーボードの佐孝がミュージシャンとして海援隊のバンマスとか谷村新司さんのアレンジやバッキング・バンドとかやってたんで忙しくなって。結局その後自分はポリドールの社員になるんですが、その頃佐孝がアレンジしてイラがジャケットやってエニウェイAKAっていう覆面バンドのレコードを出すんですよ。80年の4月、入社してすぐの仕事。ベースは後藤次利さん。僕はA&Rマンとして、ツバキハウスとかにもプロモーションに行きましたよ。プロモーションビデオまで作ってるんですよ。鋤田正義さんが撮って、高橋靖子さんがスタイリスト」

このレコードは、当時今野雄二さんがプロデュースしたということで一部で話題になっていた。

スペシャルズが分裂してスペシャルA.K.A.を名乗る前の話である。

The Anyway A.K.A. – It's My Party  今野雄二プロデュースの覆面バンド、エニウェイA.K.A. の7インチ・シングル

次回は11月23日、毎月第4水曜日更新です。お楽しみに!

高木完

たかぎ・かん。ミュージシャン、DJ、プロデューサー、ライター。70年代末よりFLESH、東京ブラボーなどで活躍。80年代には藤原ヒロシとタイニー・パンクス結成、日本初のクラブ・ミュージック・レーベル&プロダクション「MAJOR FORCE」を設立。90年代には5枚のソロ・アルバムをリリース。2020年より『TOKYO M.A.A.D. SPIN』(J-WAVE)で火曜深夜のナビゲイターを担当している。初の単行本『東京 in the Flesh』が発売中。

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TOKYO CULTUART by BEAMSが2017年まで展開していた文芸カルチャー誌『IN THE CITY』。短篇小説やエッセイ、詩など、「文字による芸術」と、それに呼応した写真やイラストレーションなどを掲載したもので、これはそのWEB版になります。