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FUTOSHI OTA

思考停止は天敵。あえて東京で絶品野菜と至高の蜂蜜を作る「Ome Farm」太田太。

2021.03.12

Photo:Fumihiko Ikemoto / Text:Shinri Kobayashi

東京都心から西へ車で向かうこと1時間ちょっと。広々とした青空とのどかな田園風景が目に嬉しい東京都青梅市で、有機野菜を育てる「Ome Farm」。北欧の二つ星レストラン「NOMA」直系の「INUA」を始め、都内の様々なレストランのシェフがこぞって、ここの野菜を使うほど、ここの野菜は特別だ。「Ome Farm」を率いる代表の太田太さんは、ルーツでもあるファッション畑から、異例と言える転身を遂げ、今は畑に向かう日々を送る。他にも、企業とコラボレーションして中目黒で養蜂を成功させるなど、これまでの農業のイメージを覆し、都会と農業との関係を新しくしている。そんな太田さんの考え方は、あらゆる職業はもちろん、今の日本でサバイブするヒントに満ち満ちていた。

Ome Farmの核心は、種・土・水にあり!

「Ome Farm」の野菜は、甘いとか味が強い、という話を周りからよく聞きます。何が他とは違うんでしょうか?

太田

うちは種・土・水の3つ要素がしっかり揃っているんです。さっき見てもらった近くの川も、東京の水じゃないみたいでしょ? 水が良くないと、いい作物は育たない。以前、マーケットに出店した時に、ケール好きの娘さんといらした方が言ってました。「この前、別の有機農家のケールを娘が食べたら、娘が、『これOme Farmのケールじゃないでしょ?』」って。それくらい味が違うんです。

水以外の要素についても教えてください。

太田

一般的な農場は、一代交配種という人の手によって改良が加えられた種を使います。でも、ここでは固定種と在来種と呼ばれる種を用います。あと、前にスタッフと、なぜうちの苗は発芽率が高いのか? という話をしていたら、あるスタッフが「それは水がいいから。ここの水はナチュラルで、塩素とか入ってないから」だと。ここは、山の湧き水が何箇所からも引けているんです。土も、農地によって粘土質と黒土で分かれています。そこに1年間くらい発酵させた堆肥を混ぜていきます。ここほど、種・土・水全部が揃っているというのはなかなかありません。あと養蜂もやっていて、蜂蜜が採れるのはもちろん、受粉などにも役立っています。

そもそも太田さんが食に目覚めることになったきっかけは何かあるんですか?

太田

15歳の時に、アメリカで食べたルッコラですね。皿いっぱいのルッコラが衝撃的にまずくて。多分あまりにも野菜の苦味がして「マズイ! なんだこれは!?」と。それが野菜の味を知った瞬間でした。ただ、いつの間にかその苦味が病みつきになっていくんですけどね(笑)。

影響を受けたものとして、今回持ってきたもらったのがCD2枚ですね。しかもちょうどその15歳頃のものだとか?

太田

まずは、BLANKEY JET CITY「ロメオの心臓 」。中学の時に、毎日聴いてました。その頃あまり邦楽は聴かなかったんですが、これだけは別で。その後アメリカにも持っていきましたし、友達にあげたりとかで、これまでに合計7枚ぐらい買ってます。もう一枚が、Hi-STANDARD「ANGRY FIST」。「fighting fists, angry soul」という曲が入っていて、その歌詞がすごい好きなんですよ。簡単に言うと、なあなあで行かなくていい、戦えっていう歌詞。これは、口コミで200万枚以上売れました。流行り廃りじゃなく、単純にかっこいいから、ということで売れてカルチャーを形成したわけです。「Ome Farm」も目指すところは同じですね。

農業に進んだのは、必然か偶然か。

太田さんの経歴を改めて、教えてください。

太田

父を始め、親類がみんなファッション業界に関わる様な家に生まれました。自分も当然その道に進むと思っていたんですが、海外に住んでみたいこともあって、21歳の時にニューヨークに渡って、6年くらい住んでから日本に戻ってきました。いよいよ日本のファッション業界に就職したんですが、まあ体質が古かった。働き方もひどくて、人によっては上司が帰るまでは会社にいさせられたりとか、おかしな慣習が当たり前のように残ってました。やがて娘が生まれて、この働き方はやばいぞと。

アメリカと日本では働き方も違いすぎますよね。

太田

娘は、甲状腺ホルモン機能障害という先天性の病気を持ってました。簡単に言うと、ホルモンが出ないという不治の病なんですが、医者に診せたら薬を飲み続けなきゃいけないと。確かに薬、つまりは医学というものはすごいんですが、あくまで対症療法であって、根幹の治療にはなっていない。医者にどうしたら薬なしでもホルモンが出るようになるんですか? と聞いたんですが、わかりませんと。そこからは徹底的に妻と話し合って、二人の答えは一緒で、食べ物だと。食べるものや日々の過ごし方を通じて、子供のコンディションを整えながら根幹を強くする、それが治療になるはずだと思い至りました。

なかなか医者が下す診断とは別の角度から治療を考えるというのは難しいことじゃないですか?

太田

でも、そこで止まってたら思考停止だと思うんですよね。例えば今でも、農家の人の中には、毎年気象条件が違うのに、毎年同じセオリー通りのままで栽培して失敗する人もいます。毎年条件は違うから、自分の頭でちゃんと考えてアップデートしなきゃいけないのに。

なるほど。農業へ話を戻すと、具体的にはどうやって始めたんですか?

太田

その頃、とある会社から、僕のそれまでの仕事を評価してくれて、なんか一緒にやらないかと声をかけてもらいました。そこのトップと、じゃあ具体的に何をやろうかと話している時に、色々なキーワードが出てくる中で『農業』という文字が出てきたんです。その瞬間に、思考がそこだけに一点集中して、これだ! と。娘のこともあり、僕の30代の10年を農業にかけてみようと思いました。もし10年経ってものにならなかったら、次のフェーズに行くだけだし、とりあえず10年は頑張ろうと。こうして、パズルが組み合わさるようにして、農業へと向かうことになりました。

何のために野菜を作るか。何のために会社は存在するか。

太田

その会社の中で農業をプロジェクトとして始めたんですが、社の方針で2年半で撤退することになったので事業を買い取りました。娘の経過は良かったけど、結果がまだ出ていなかったし、ここで辞めたらアパレルの冷やかしだと思われるのが嫌でした。叩く人もいっぱいいたんですけど、その倍くらい応援してくれてる人や、スタッフの思いを裏切りたくなかったんですよね。

使命感が強いんですね。農業の楽しさも感じていたんですか?

太田

ありました。もともと食べることがすごい好きで、どうせ食べるなら美味しいものを食べたい。例えば、無農薬で安心安全をうたう農家はいっぱいいますけど、本当に美味しいのか? というのは重要。いくら安全でも食べてみて美味しくないのは、もう終わり。やっぱりうまいものを食べたいし、農業者としてはうまいものを作ることに常にベクトルが向いています。

そのためには色々と創意工夫や手間もかけているわけですよね?

太田

種苗を担当しているスタッフが、うちは多分どこよりもめんどくさいことをやっているけど、それが表に出ていないと言ってましたね。

「Ome Farm」では、太田さんはディレクターの役割なんですよね?

太田

ディレクターの他に、農作業補助や新規営業開拓とかもしています。あと最近始めようとしているのが庭先養鶏です。「Ome Farm」には、 種苗、養蜂、堆肥などいろいろな分野のスペシャリストが集まってますから、自分のセクションもあったら楽しいなと。チーム農業はいいですよ。共存しつつ、ちゃんと棲み分けがあるから互いにいい影響があって。

チームとしてもビジネスとしてもいい影響があるんですね。

太田

うまい野菜を作って、ちゃんとその価値を上げていくことが大事。あと会社の存続意義というものについて考えるんですけど、 利益を出さないと社員はいる意味なんてないと、帰国後初めて会社に勤めたときに教えられました。でもその利益って会社の誰のためのものなの? って思うんです。これからの時代、会社のトップとその会社がイコールのところは、もう残っていかないんじゃないかと。会社というものは、みんなで回しているものであって、ちゃんと社員の生活基盤さえ確保できれば、バカみたいに儲ける必要はないと思いますね。

「BE AT TOKYO」は東京がひとつの切り口ですが、東京へのこだわりはありますか?

太田

すぐに食べてもらいたいし、食べたいじゃないですか。東京の都心からここまでは車で1時間ちょっとで、移動距離は大したことありません。県外からとは違い、収穫したその日にレストランに届けることもできます。僕は生まれも育ちも池袋。青梅も池袋もどちらの街も盛り上げていきたいんですよね。

これからやりたいことはありますか?

太田

世界中で、オーガニックの先進都市を見てきたから、自分の活動を通じて、オーガニックが全くないようなところにこそ、広げていきたいですね。青山とか西麻布とか六本木とか、オーガニックのイメージ通りのところではなく、ありえないところでこそやっていきたい。じゃないと“ファッション”としてもダサいなと考えています。

OME FARM DIRECTOR

太田太

1982年生まれ、東京都出身。21歳でファッションの勉強のためにニューヨークへ渡米した後、帰国。その後国内のアパレル企業にてブランドのPRや営業を担当し、アジア市場を開拓。とある企業の社長との出会いをきっかけに農業の世界へ。2014年に東京都青梅市で「T.Y.FARM」を設立するが、親会社の事業撤退に伴って独立し、2017年に「Ome Farm」を立ち上げ再スタート。週末の青山ファーマーズマーケットに出店する他、浅草橋にOme Farmの野菜や友好関係にあるファームの生産物を使った料理、ビールやワインが楽しめる「Ome Farm kitchen」をオープン。
Instagram:@omefarm(https://www.instagram.com/omefarm/
https://www.omefarm.jp/

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