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SOTARO TAKAHASHI

高橋窓太郎のアイデアが、影に光を当てていく。

2022.08.05

Photo:Hiroyuki Takenouchi / Text:Keisuke Kimura

廃墟の映画館や防潮堤。「負の遺産」とも揶揄されるそうした建造物に、新たな息吹を吹き込む高橋窓太郎。彼は、プロダクトは作らないし絵も描かないけれど、突飛な閃きと人を巻き込む力で、新たな価値を創造し続けているアーティスト。電通という大企業に勤めるかたわら自身の「おもしろいセンサー」に従い生きていく、一度見たら忘れないナイスガイの、これまでとこれから。

アーティスト一家で育ち、電通へ。

窓太郎(まどたろう)さんのお名前は芸名ですか?それとも本名?

窓太郎

「そうたろう」が本名なんですけど、みなさん「まどたろう」だったり「まど」って呼んでくれます。高橋って呼ばれると、ちょっと違うというか(笑)。

そうだったんですね(笑)。そういえば、インスタに投稿されていた、植物でピアノを弾いている動画を見させていただいたんですけど、ザ・アーティストという感じで。

窓太郎

そこまで見られてるんですか? 恥ずかしいな……。

あの演奏は即興で?

窓太郎

そうですね。仕事で病んだときに、あんな動画を撮っているんです。なのでハッピーに見えて、心は病んでるっていう(笑)。

意外でした(笑)。窓太郎さんは現在、3つの会社に所属されているんですよね?

窓太郎

電通の社員が軸としてありつつ、一般社団法人「SEAWALL CLUB」で理事を務めています。ここ「デリシャスカンパニー」では社員としてではなく、準レギュラーという形で関わっている感じです。

電通では、どんなお仕事をされているんでしょうか。

窓太郎

新卒で電通に入ったんですけど、最初はプロモーション業務をしていて、そこから電通Bチームというクリエイティブチームでコミュニティマネジメントを担当していました。いまは営業職です。

なるほど。

窓太郎

ただ、営業職が致命的に向いてないということが判明しまして(笑)、もう少しで電通を退職する予定です。

電通の営業って、ハードそうですよね。

窓太郎

そうですね。自分の活動と両立できませんでした。なので、これからは「SEAWALL CLUB」と、「デリシャスカンパニー」のふたつで、やっていければという感じです。

仕事のことは、のちほど伺うとして、まずは窓太郎さんの出自から教えていただけますか?

窓太郎

原宿生まれで、白金で育ちました。父親はイラストレーターで、北谷しげひさという名前で活動しています。絵を見たらわかる人はわかるかもしれないですね。母親は本のグラフィックデザイナーで、本の装丁のデザインなんかをしてました。夫婦で一緒に絵本を作ったりもしてましたね。

アート一家で育ったわけですね。窓太郎さんがアートの道に行くのも必然だったと。

窓太郎

小さい頃から「いつか藝大に行くんだろうな」とは思ってました。だけど結果、二浪して、意外と入学するのは大変だったっていう(笑)。

いつから、本格的に藝大を志すようになったんでしょうか?

窓太郎

時期的には高2の頭ぐらい。そこから予備校に通い出して二浪して、建築科に入学しました。

建築科だった理由は?

窓太郎

白金の家がレンガ造りで、めちゃくちゃかっこよかったんですけど、あるとき耐用年数の問題で取り壊されたんです。そのあとに建った家が、フェイクのレンガが貼られていて、超ダサくて。デザイン科か建築科に行くか悩んだんですけど、そういう記憶もあって、結果建築科に。あと、一番倍率が低いっていうのもあったんですけどね(笑)。

ほかに建築的な影響を受けたアーティストはいらっしゃいますか?

窓太郎

(写真集を見せてくれながら)昨年亡くなっちゃったんですけど、クリストは大好きです。凱旋門やひとつの島とか、巨大なモノを布で覆うという作風で。彼は、ひとつの作品を作るのに、最短でも7、8年ぐらいの期間をかけてるんです。というのも、作品が巨大すぎて、住民や自治体の協力が必要だったみたいで。しかも協賛もつけず、自分のドローイングを売って稼いだお金で、作品を作るという。

そして、大学で建築を学んで、電通に就職されると。

窓太郎

建築の世界に進むことも考えたんですけど、やることも多いし、人命を預かるので、ちょっと自分には向かないなと思って。それと、もっとアートっぽいことがしたかった。「夢っぽいこと」と言えばいいのかな。それにはお金が必要なので、広告とお金の仕組みを学びたくて電通に入りました。

アイデアマンとしての役割。

とはいえ、電通に入るのも簡単ではないですよね。

窓太郎

志望理由とかも特になかったんですけど、自分の顔って覚えられやすいんです。だから、面接に自分のお面を100枚持って行って(笑)。一次面接で、エントリーシートと一緒にお面を出したら、「エントリーシート以外いらないんで」って言われたりしたんですけど、適当にお面と建築を繋げて話しているうちに、5次面接まで行って、最後は役員にもお面を配って、無事に入社できました(笑)。

窓太郎節全開ですね(笑)。

窓太郎

その配ったお面って、面接官たちは自分のフロアに持って帰ってデスクに置いたりとかするじゃないですか。なので、面接官以外の人たちも、自分が入社する前からぼくの顔を知ってくれていて、入社したてのときに「あれ?お前あいつじゃない?」みたいな(笑)。文字通り、最初から顔を売ることには成功して。そこから「あいつはなにかしら配れるぞ」っていうことで、プロモーション局に配属されたんです。

そこで、お金の集め方みたいなのを学べたと。

窓太郎

全然でした。ただ、PR目線で物事を考えるとか、基本的なプランニングの方法は学べたと思います。そこに4年くらい所属して、その後にBチームにうつり、現職の営業ですね。

現在は、それぞれの会社でどのぐらいの割合で仕事をされているんでしょうか?

窓太郎

この2ヶ月で言うと、電通とそれ以外の仕事が半々という感じです。

次に「デリシャスカンパニー」での仕事について教えていただきたいんですけど、そもそも、どういう会社なんでしょうか?

窓太郎

家具も作るし、グラフィックも作るし、場も作る会社ですね。そもそも「デリシャスカンパニー」は、藝大時代に、仲間内で作った会社なんです。ぼくはそこから電通に就職したので、いまは社員というわけではないんですけど。

では、どういう関わり方を?

窓太郎

自主事業をやるときはコンセプトとかネーミングを考えたりして、アイデアを出すことが多いですね。

そこでの代表的な取り組みが、「元映画館」であると。

窓太郎

もともと半田(「デリシャスカンパニー」の代表)が物件マニアで、いろんな物件をリサーチしていて、それこそ廃墟のラブホとかを見てたりしたんです。そのなかで、30年前に閉館した映画館を見つけて、速攻で内覧して、即決で借りたんです。当初は、ただの遊び場で、麻雀をする場所でした。だけど、いろいろなことができそうな空間だったので、いまはスナックをやったり、ギャラリーとして貸し出したりしています。

ほかに、「デリシャスカンパニー」で進行中のプロジェクトはありますか?

窓太郎

「BE AT TOKYO」と 飯田昭雄さん が軽井沢に作った、「BAAK」というアーティストインレジデンスのデザイン周りも手伝わせてもらっています。

そこにも、窓太郎さんや「デリシャスカンパニー」らしい、ユニークなギミックが盛りだくさんと聞いています。

窓太郎

コピック(「マッキー」のようなマーカー)を来た人に選んでもらって、それをルームキーにしていたり、ひと部屋ずつにキャンバスがあって、それにコピックでいろいろ描けたりもするんです。そのキャンバスの落書きが蓄積されていって、ゆくゆくは喫茶店とかにある自由帳みたいな感じになってくれたらなと。それ以外で言うと、いまは偽の「スターバックス」を作ることも考えています(笑)。あくまで妄想レベルなんですけどね。

負の遺産をポジティブに変換。

では次に、窓太郎さんのメインの活動である「SEAWALL CLUB」について、立ち上げの経緯から教えてください。

窓太郎

3.11の復興の為に行われていた、新規事業提案の研修というものに2019年に参加したんです。それぞれがアイデアを持ち寄って、コンペをして、優勝者を決めるというもので。その流れで宮城県の石巻市の雄勝町に行ったんですけど、沿岸部に津波を防ぐための防潮堤が建てられていたんです。高さが10メートルほどあって、それが3.5キロも続いていて。3階建てぐらいの建物がずーっと並んでるみたいな感じですね。

防潮堤があることで、まったく景色が見えないですよね。

窓太郎

そうなんですよ。それを見たときに、その防潮堤が持つ暴力性に衝撃を受けたんです。しかも、その高さの防潮堤ってあまり意味がないと言われてるんです。なぜかというと、前の地震の津波が20メートルだったから10メートルじゃ足りないし、しかも建設に関しては有識者の中で勝手に決められて、住民の意見はないがしろにされていたと。

結構ナイーブなお話ですね。

窓太郎

で、ぼくも現地でいろんな人の意見を聞いたりするなかで、だったらそれを逆手にとって、防潮堤に絵を書いて、美術館を作ったらどうかという提案をしました。それがコンペで1位を取ったんですけど、そこから実現に向けてやっていくうちに、反対の声も上がったんですよね。コロナもあって住民の方々とも意思の疎通がうまくいかないこともあり。

結局は、いろんな人が関わりすぎていたので、責任の所在がしっかりしていなかったんです。そこから再出発をしようとなり、昨年から住民の方とも密にコミュニケーションとって、仲間を増やしていって、やっと形になるところまできたという感じです。

地元住民がいちばん辛い思いをしていますよね。故郷の風景が奪われてしまって。

窓太郎

防潮堤は本当にセンシティブな話題なんです。

たしかに超アンタッチャブルですね。

窓太郎

だから、外から来たぼくらのほうが積極的に関われると思うんです。本当に、生で見ると、あのどでかい防潮堤がずっと続く閉塞感は、まるで牢屋みたいで。

地方ならではの考えもあるなかで、実現は想像以上に大変ですよね。

窓太郎

ただ、基本的には応援してくれる方々がほとんどです。この間、雄勝小・中学校に壁画を描いたのですが、やっぱりみなさん喜んでくれていて。防潮堤に描く絵は、もっとすごいものになっていくんだろうなと思います。今年の9月から描き始めて、11月末くらいにひとまず描き終える予定で、それを機に「海岸線の美術館」という名前でオープンします。クラウドファンディングも9月からはじめるので、ぜひみなさんも、よろしくお願いします(笑)。

雄勝小・中学壁画「highlight」

前述のクラウドファウンディングページ。現在、2022年11月末の「海岸線の美術館」開館に向けて支援者を募集中。期間は8月末まで。
https://camp-fire.jp/projects/view/599785

このプロジェクトをやる一番の動機ってなんだったんでしょうか? 地方創生の思いが強いですか?

窓太郎

その辺は正直、よくわかってないです。ぼくらは面白いことをやっていたいし、そのことが住民の方にとってもプラスに働くなら、結局はそれが一番じゃないのかなと思っています。

ただ、ここに絵を描いていくとなると、相当なお金が必要ですね。

窓太郎

そうなんです。基本的にはクラファンから始めるんですけど、そのなかでパトロン券っていうのを販売しようと思っています。60センチ×120センチのサイズを「1カベ」という単位にして、1カベのパトロンになる権利を販売する予定です。あとは法人のスポンサーだったりとか、個人のスポンサーも募っていけたらと。

実際、防潮堤のすべてをアートで埋め尽くすのに、どのくらいの歳月がかかりそうなんでしょうか?

窓太郎

ずっと終わらないと思うし、描くタイミングも違うから、それぞれのエイジング具合もまったく異なるものになると思います。それも含めて、美術館の風合いになっていけばいいなと思っていて。

完成した暁には、石巻の一大名所になりそうですね。

窓太郎

そこまで広げていくスパンで、「海岸線の美術館」にまつわるイベントをやったり、作品を見られるカフェを作ったり、泊まれるような施設を作ったり、この海岸線全体を周ること自体が「海岸線の美術館」というような形にしたいですね。

「海岸線の美術館」の事業以外で、「SEAWALL CLUB」の活動はありますか?

窓太郎

これが成功して、いろんな行政からお声がかかれば、コンサルティングみたいなことはやりたいなと思っています。その町にある大事なものを、ちゃんとブランディングして磨いていくようなことですね。そこはしっかり、電通仕込みのPRのロジックを入れながら。

「元映画館」をはじめ、窓太郎さんは本当にアイデアマンだと感じました。それで言うと、アイデアを生み出すためにやっていることはありますか?特別なインプット方法があったりとか。

窓太郎

最近はあまりインプットはしてないかもです(笑)。元々、知識量がないんですよね。調べるタイプでもなくて……。だから、何事にもなるべく先入観を持たずに、思いつきで勝負しています。

「海岸線の美術館」も思いつきですか?

窓太郎

初めて見た瞬間に「ここに絵を描いたら面白そうだな」と思いました(笑)。

(笑)。例えば「海岸線の美術館」が終わったとして、そのあとにやりたいことがあれば教えてください。

窓太郎

いまは特にないです。あと、よく「死ぬときに天井を見上げたときに、何を思うかが大事」みたいなことを言うじゃないですか。それってあんまり重要じゃないと思っていて。常に「やっているときの青春感」を大事にしたいんです。やっぱり、なにか新しいことを立ち上げようとしているときが、一番楽しい。……でも、どうだろう。死に際に何を思うかも、やっぱり大事かも……。とりあえずいまは、最高に楽しいです(笑)。

SEEWALL CLUB DIRECTOR

高橋窓太郎

1988年生まれ、東京出身。東京藝術大学の建築学科時代にデザイン事務所「デリシャスカンパニー」の立ち上げに関わり、その後、電通に就職。2021年に一般社団法人「SEAWALL CLUB」を設立し、現在は3足のわらじを履き活動する。
Instagram : @madotaro_takahashi

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次の東京を創造していく表現者にスポットを当てたインタビューコンテンツ。